碧痕2「曙光、曙光としての侵入」
2 曙光(二つの倒錯)、曙光としての侵入
ユダヤ教と基督教の僅かな差異は、アブラハムの沈黙の旅の度忘れ状態が悪夢であることと、同じ度忘れ状態にする釘づけの磔刑の十字との差異であるが、一方に於いては、悪夢に面してなぶられることこそが微かな曙光の如く倒錯するのに対して、他方に於いては、悪夢の再来が約束されていることが希望の如く振る舞うのである。アブラハムはずっと気を失っていてしかしその間に悪夢は通り過ぎてはいず、他方は悪夢の到来を待ち侘びている。
この二つの倒錯は、つがい形成の如くである。つまり、ユダヤは迫害を誘うのである。
ホロコーストの記憶が失われている国では、その埋め合わせに「Alien」 のような映画が作製される。寄生体は他の誰かの身体に顕れるのではなく、「私」の身体に潜み、それを(度忘れするためであるかのように)振り払おうとするとその弾みでそれは遍在しはじめ、総身の毛も太る仕方で肉薄する。絶滅させるべき悪夢となるのである。
或いは、「Origin of Species」 のような書物が出版される。しかし絶滅する悪夢は疚しさとなって潜伏するのであり、それが絶滅種、絶滅危惧種に転位して地表に漂い出すのである。
アブラハムが息子イサクを生贄にするなどという異常事態の背後には、契約があるのではないか、と勘ぐる向きもあるに違いない。契約とは、相互に器官の延長となること(分業)であるから、神は(疚しさとなって)潜伏する。この潜伏の二つの効果が、地上のあてどであり、疚しさである。このあてどを、地上が鎧う直しさに置換し、疚しさを悪に置換すれば、更には息子イサクを魂に置換すれば、自然の秘密と魂を引き換えにするファウスト博士と悪魔の契約の話が浮かび上がる。
佐倉姥ヶ池の伝説では、姥ヶ池のヌシと姫の乳母との間に契約が軽はずみに(乳母の口から出た言葉を聞き取る地獄耳のものがもしかしているやもしれぬことを乳母が考慮していないかの如く)即決され、花が咲き満ちる水草と引き換えに姫はあたら18の年齢になったらヌシに差し出されなければならない。いつか、悪とも良心ともつかず水底に潜伏しているものが迎えに来る、というのだ。「美女と野獣」も同じ系譜のどこかで発生しており、遡れば、約束や契約は、アガメムノーンと生贄になるその娘の場合のような神託の強制の世俗化である。
神を孕む話は、契約の水準(世俗化)に於いて、拉致する影の勢力が悪魔や水のヌシ、狐狸に零落し、更には寄生体にまでおとしめられるに及んで、俄然猖獗を極めるが、悪疫の猛威・蔓延こそは、曙光としての侵入なのである。
ユダヤ教と基督教の僅かな差異は、アブラハムの沈黙の旅の度忘れ状態が悪夢であることと、同じ度忘れ状態にする釘づけの磔刑の十字との差異であるが、一方に於いては、悪夢に面してなぶられることこそが微かな曙光の如く倒錯するのに対して、他方に於いては、悪夢の再来が約束されていることが希望の如く振る舞うのである。アブラハムはずっと気を失っていてしかしその間に悪夢は通り過ぎてはいず、他方は悪夢の到来を待ち侘びている。
この二つの倒錯は、つがい形成の如くである。つまり、ユダヤは迫害を誘うのである。
ホロコーストの記憶が失われている国では、その埋め合わせに「Alien」 のような映画が作製される。寄生体は他の誰かの身体に顕れるのではなく、「私」の身体に潜み、それを(度忘れするためであるかのように)振り払おうとするとその弾みでそれは遍在しはじめ、総身の毛も太る仕方で肉薄する。絶滅させるべき悪夢となるのである。
或いは、「Origin of Species」 のような書物が出版される。しかし絶滅する悪夢は疚しさとなって潜伏するのであり、それが絶滅種、絶滅危惧種に転位して地表に漂い出すのである。
アブラハムが息子イサクを生贄にするなどという異常事態の背後には、契約があるのではないか、と勘ぐる向きもあるに違いない。契約とは、相互に器官の延長となること(分業)であるから、神は(疚しさとなって)潜伏する。この潜伏の二つの効果が、地上のあてどであり、疚しさである。このあてどを、地上が鎧う直しさに置換し、疚しさを悪に置換すれば、更には息子イサクを魂に置換すれば、自然の秘密と魂を引き換えにするファウスト博士と悪魔の契約の話が浮かび上がる。
佐倉姥ヶ池の伝説では、姥ヶ池のヌシと姫の乳母との間に契約が軽はずみに(乳母の口から出た言葉を聞き取る地獄耳のものがもしかしているやもしれぬことを乳母が考慮していないかの如く)即決され、花が咲き満ちる水草と引き換えに姫はあたら18の年齢になったらヌシに差し出されなければならない。いつか、悪とも良心ともつかず水底に潜伏しているものが迎えに来る、というのだ。「美女と野獣」も同じ系譜のどこかで発生しており、遡れば、約束や契約は、アガメムノーンと生贄になるその娘の場合のような神託の強制の世俗化である。
神を孕む話は、契約の水準(世俗化)に於いて、拉致する影の勢力が悪魔や水のヌシ、狐狸に零落し、更には寄生体にまでおとしめられるに及んで、俄然猖獗を極めるが、悪疫の猛威・蔓延こそは、曙光としての侵入なのである。


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