碧痕10 無重力状態の数
10 無重力状態の数
自然数(基数)と素数とは、どちらも無限に出現するとして、一対一で対応するだろうか。
基数は出現する。それは場所・目的を占める出来事なのである。この出来事のあてど(命令の潜伏の効果としての場所・目的)が、序数である。
基数を辿れば時折り顔を覗かせるに過ぎない素数が基数と一対一で対応するはずはない。しかし、序数と素数は一対一で対応する。
あてどとしての序数はそれと知らず使いこなされている限りであてどであり、その限りで基数は惰性に包まれるが、それが剥き出しになると、数の大小が失調してあてどなくなるのである。数の無重力状態とは、このような裂目(あてどの失効)である。
有限な数量が無限に微分できるかの如き観を呈するのは、序数と基数の混同からである。これは、あてどとしての場所と対象としての場所(土地)の混同の、変奏である。
対象のあてどは対象を出来事にしておびやかす(祟る)。無限の微分とは、基数が序数に不断におびやかされているということである。
巨大素数が厳重に保管されているのは、それが出来事であり、歴史的発見(負の到達・保存)は私的であるからであり、巨星のように本物は失踪して冥府のものであるのに、二重の模写としての保管(世俗化)によって自生する(かの如くになる)からである。つまり、盗まれる恐れとあてどなさとが、跡形もなくなる恐れと跡形もなく脅かされていることとが、祟られるように区別されずに、盗まれたり紛失してしまう恐れそのものが厳重に保管されるのである。
註1 運動であれ静止であれ直しさを鎧った具体は無限に涌き出す中間点を踏破する、というよりは飛躍する。中間点そのものが通過するのであり、どの中間点とも入れ替わる。エレア学派は、あてどとしての中間点と対象としての中間点を混同し、更には、中間点を数え切れないことと到達しえないこととを混同しているのである。出来事としての中間点が予定調和的に無限に涌き出すにしても、その、どの中間点もあてどとしての中間点を占めている。あてどとしての中間点は、そのあてどを占める出来事を脅かすものの潜伏の効果であり、微分を許すのではなく、出来事に飛躍的な通過性を鎧うようにするのである。
註2 地上の各言語は、複素数の解があるような高次方程式の解であると考えられる。複素数の解であるような言語は、この世に顕れていない暗黒言語として対位する。ベンガル湾の或る諸島に散在する部族にはそれぞれの母語があり、そのうち二つまで、その言語を話す最後の老人が相次いで死亡して消滅したと報じられたのは、2010年初頭のことであるが、しかし、消滅したかどうかは疑わしい。神経衰弱であったその言語が孤独(擬態)を解いて、しかし素材が間に合わせられなく度忘れ状態なのである。
同じ年、暗黒物質の探索が熱を帯びて来ているらしいが、重力の源を専ら物質に限るのは、狭量である。物質が落ち着くのは重力だけによるのではない。離人症ではしばしば重量が揮発してしまう。速度も揮発してしまう。宇宙飛行士が直面する無重力は程度としてのそれでしかない。その無重力空間そのものが宙に浮くのではない。しかし宇宙飛行士のなかには、宙に浮いた無重力空間にでくわすものがいたらしい。そうした裂目は、神とかUFO とかいった臨在の気配を以て報告される。譫妄じみてはいるが、事態は法則的到達・保存でも歴史的到達・保存でもなく、分別やcommon senseでは手に負えない、究極の懐疑としての無我なのである。
自然数(基数)と素数とは、どちらも無限に出現するとして、一対一で対応するだろうか。
基数は出現する。それは場所・目的を占める出来事なのである。この出来事のあてど(命令の潜伏の効果としての場所・目的)が、序数である。
基数を辿れば時折り顔を覗かせるに過ぎない素数が基数と一対一で対応するはずはない。しかし、序数と素数は一対一で対応する。
あてどとしての序数はそれと知らず使いこなされている限りであてどであり、その限りで基数は惰性に包まれるが、それが剥き出しになると、数の大小が失調してあてどなくなるのである。数の無重力状態とは、このような裂目(あてどの失効)である。
有限な数量が無限に微分できるかの如き観を呈するのは、序数と基数の混同からである。これは、あてどとしての場所と対象としての場所(土地)の混同の、変奏である。
対象のあてどは対象を出来事にしておびやかす(祟る)。無限の微分とは、基数が序数に不断におびやかされているということである。
巨大素数が厳重に保管されているのは、それが出来事であり、歴史的発見(負の到達・保存)は私的であるからであり、巨星のように本物は失踪して冥府のものであるのに、二重の模写としての保管(世俗化)によって自生する(かの如くになる)からである。つまり、盗まれる恐れとあてどなさとが、跡形もなくなる恐れと跡形もなく脅かされていることとが、祟られるように区別されずに、盗まれたり紛失してしまう恐れそのものが厳重に保管されるのである。
註1 運動であれ静止であれ直しさを鎧った具体は無限に涌き出す中間点を踏破する、というよりは飛躍する。中間点そのものが通過するのであり、どの中間点とも入れ替わる。エレア学派は、あてどとしての中間点と対象としての中間点を混同し、更には、中間点を数え切れないことと到達しえないこととを混同しているのである。出来事としての中間点が予定調和的に無限に涌き出すにしても、その、どの中間点もあてどとしての中間点を占めている。あてどとしての中間点は、そのあてどを占める出来事を脅かすものの潜伏の効果であり、微分を許すのではなく、出来事に飛躍的な通過性を鎧うようにするのである。
註2 地上の各言語は、複素数の解があるような高次方程式の解であると考えられる。複素数の解であるような言語は、この世に顕れていない暗黒言語として対位する。ベンガル湾の或る諸島に散在する部族にはそれぞれの母語があり、そのうち二つまで、その言語を話す最後の老人が相次いで死亡して消滅したと報じられたのは、2010年初頭のことであるが、しかし、消滅したかどうかは疑わしい。神経衰弱であったその言語が孤独(擬態)を解いて、しかし素材が間に合わせられなく度忘れ状態なのである。
同じ年、暗黒物質の探索が熱を帯びて来ているらしいが、重力の源を専ら物質に限るのは、狭量である。物質が落ち着くのは重力だけによるのではない。離人症ではしばしば重量が揮発してしまう。速度も揮発してしまう。宇宙飛行士が直面する無重力は程度としてのそれでしかない。その無重力空間そのものが宙に浮くのではない。しかし宇宙飛行士のなかには、宙に浮いた無重力空間にでくわすものがいたらしい。そうした裂目は、神とかUFO とかいった臨在の気配を以て報告される。譫妄じみてはいるが、事態は法則的到達・保存でも歴史的到達・保存でもなく、分別やcommon senseでは手に負えない、究極の懐疑としての無我なのである。


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