Friday, July 30, 2010

碧痕13 鞄の中身

13 鞄の中身
 魚類の成れの果てが四足歩行に踏み切ったのは断崖を攀じ登るが如き冒険だったが、二足歩行は更に手放しするのである。その、ゼス・キリシトが水上を歩くが如き曲芸から、器官の延長と分業とが、秩序と日常的惰性、法則的到達・保存と歴史的到達・保存とが展開したのである。擬態である。
 擬態のエラー状態(失調)とは、擬態が秘密ではなくなるのである。その如何わしさ、「法王庁の抜け穴」(A.Gide)に於いては、法王がにせものであるかも知れない如何わしさを通して俄然、世俗の基盤としてかかる妥当性は今にも踏み抜きそうな薄氷のようなものになってしまう。ぞっとする気配か、狐狸の気配が、陰謀の気配として肉薄するのである。同じようにして、「贋金つくり」(A.Gide)に於いては、「私」を代表する「自由、孤独、思考」が霊感の如くにではなく、他の誰か(ローラ)の身体を通してやって来る、つまり盗まれてしまっているかの如くであること(純粋な嫉妬)を通して俄然、物語る声は他の源泉から管を通されてしまう。生贄であることが、他の誰かの身体(ベルナール>エドゥワール>ローラ)に狐憑き状態として感染しているために、物語る声は度忘れ状態なのである。この度忘れ状態が、遍在する窃視である。
 ローラの頭と舌を通してやって来るエドゥワールの思考、ベルナールが「運命的好奇心」から(催眠術にかかっているように)覗き込むエドゥワールの鞄の中身として保存された<贋金つくり>やベルナールの母の密通の果実としてのベルナールの出生の秘密を保存した手紙、ベルナールの窃視を予言するように覗き返す<贋金つくり>、こうした入れ子状態の秘め事は極端に私的で一般化が追いつかないが、系統発生的には追い越されていて、それが、覗き穴が盗まれることである。
 部分が全体を代表する(媒質としての)提喩性が真空化して宙に浮く擬似奥行、それが鞄の中身としての<贋金つくり>、訂正不能の現実である。ヴィーナスの姦通の果実としてのエロスがヴィーナスの姦通に先立つ、この、天空の到達・保存の衝動、それが、ベルナールの冒険としての鞄の中身である。
 ベルナールが母の密通の果実であることを疑わないのは、そのことが秘密の手紙を盗み見ることを通して単に隠れていたものが顕れた効果に包まれているか、或いは、冒険に出るために私生児でありたいか、どちらかである。そもそも、そんな手紙がなんのために保存されていたのか、ベルナールは問わない。いつかベルナールが覗き込む、その窃視の瞬間に誘惑されているからだろうが、この誘惑には「運命的好奇心」が対位し、出生の秘密を覗き込むことを通して、神経衰弱か、或いは履歴改竄がベルナールに感染する。この感染が、ベルナールが冒険に出る弾みである。
 「マヤの色もあやな襞のようなものを、<エグゾチスム>というのだと思う。その前に立つと、われわれの心は無縁の存在のように感じられ、心の拠り所を奪われてしまう。」(「贋金つくり」岩波文庫)ベルナールの母やローラにとって冒険とは、ヴィーナスがかかること、擬態としての「自由、孤独、思考」が解けて媒体であることに連れ戻される真空化、何か不易で一貫したものとしての「私」というものが脅かされる遠方と夜の出会う効果、<エグゾチスム>である。
 鞄の中身を覗き込むベルナールの顔面は、この<エグゾチスム>を模写するのである。表情というものが顔面の模写発作であるように、表現は現実に面しての私的痙攣であり、本物が出現すると同時に失踪するのは、現実が本物だからではなく、そもそも現実というものが制圧の果実であるのにそのことを打ち消している、その拮抗の気配を私的痙攣が模写しているからである。エドゥワールは私的痙攣を以て<エグゾチスム>を報告するが、<エグゾチスム>が他の誰かの身体に顕れているために度忘れ状態になるのは、つまり、遍在する窃視は、ベルナールの(何か不易で一貫したものがバラバラになる)冒険であり、エロスの如く後れて来るのに先立つのである。
 <エグゾチスム>、寂漠、霊感は色違いの真空化である。エドゥワールがオリヴィエやローラを通して呼吸し、ベルナールやパッサヴァンを通して対位あるいは対立的に(かけはなれたものを通して転写)呼吸し、時計が時刻を告げるのを機にまるで歯車仕掛けであるかのように動き出すラ・ペルーズ老人を通して呼吸する、というように他の誰かの身体に狐憑き状態が顕れて何かが(そのことが)喉元まで上り詰めて来る度忘れ状態(もう一つの狐憑き状態)に於いて、その狐憑き状態が噴き出さないように鎧われていた「私」というものはバラバラになる。操り人形に背筋が通っていたのは「私」というものを鎧っていたからであるが、操り人形がバラバラになるのではなく、「私」というものが解けて誰とでも入れ替わるのである。この履歴改竄(遍在する窃視)がベルナールを通してエドゥワールが呼吸するかのようであるのは、物語る声の断面に過ぎない。「神アブラハムを試みんとて之をアブラハムよと呼びたまふ彼言ふ我此にあり」というのはまるで盲目が手や杖で探るのに応答するかの如くであるが、同じようにして、ベルナールの「運命的好奇心」としての窃視は応答する。その顔つきは、「瞼は半ば閉じられたが、目の奥には異様な焔が燃えていた。顳には小皺がより、唇はきっと結ばれ、緊張で顔全体が上の方へ吊り上げられた]というふうだろうが、これは、ベルナールが私生児であることを秘密にしていた父親にして予審判事プロフィタンディウーが贋金の情報をエドゥワールから耳にしたとき顔面に顕れた発作であるが、到底随意につくれるものではない。
 遍在する窃視(物語る声)と贋金が被造物の複写能・履歴改竄から派生するように、ベルナールとその天使はエロスの分割である。地獄から管を通されてベルナールの背筋が通らないのである。「ソルボンヌの校庭で、彼は、自分と同様試験に合格した級友の一人が、仲間から離れて泣いている姿を見た。その級友は喪服を着ていた。彼が最近母を亡くしたことを、ベルナールは知っていた。同情の気持ちがむらむらと湧いて来て、彼は孤児の方へ近づいたが、ばかげた羞恥心から、そのまま通り過ぎた。相手は、彼が近づいたと思うと通り過ぎてしまったのを見て、泣いた自分を恥ずかしく思った。彼はベルナールを尊敬していたので、ベルナールに軽蔑されたのだと思い、悲しかった。」まるで太宰のようだが、こうした脱臼、腰砕け、滑稽が、既にして天使の出現の前兆である。「ベルナールはリュクサンブール公園に入って行った。・・・空気は生温かいと言っていいほどで、もう落葉した大木の梢越しに、青空が彼に笑いかけていた。本当に冬が近づいているのかと怪まれるほどである。さえずる小鳥も、勘違いをしているのだろう。しかし、ベルナールは、庭など眺めてはいなかった。彼は、目の前に、人生の大海が展けるのを見ていた。海の上には、幾つもの道が通じていると言われる。しかし、その道筋は、目には見えない。」そんなふうに思いに耽っていると、天使が、波の上でも歩けそうな軽い足どりで、滑るように近づいて来る姿が見えた。それまでに天使を見たことはなかったが、天使は<来たまえ>と言った、というのである。天使は、生贄であることと、生贄であることが他の誰かの身体に顕れることと、役に立つこと(これは頗る「利己的」で背筋が通ることであるが)、これらの選択か、その間を活くことを暗示しかけるのだが、この夜通しの葛藤(天使との組打ち)は、はた目には(それを何も言わずに見ていたボリスには)ドタンバタンあばれまわる不思議な祈りにみえる。
 ラ・ペルーズ老人は顳に銃口を当てたことがある。引き金に掛けた指に力が入らなかったのは、怯懦からではなく、操り人形にして背筋が通っていなかったからで、というのも、ラ・ペルーズ老人が眠ろうとすると壁から何か音がし、それは耳を澄ますと消えてしまうというようなものではなく何だか分からない音だったのだが、実は、ラ・ペルーズ老人の身体に張り巡らされた管を血液が流れる音が壁腔を胴体にして増幅されたものだったのである。つまり、ラ・ペルーズ老人の身体は空っぽだったのである。そのことに気づいて身体が戻って来ても、もはや自由にはならない。動機そのものが誘導されていることに被曝してしまっているのである。しかし、オリヴィエの場合、催眠術(感激、霊感)にかかったように自殺しかけている。ボリスの場合はどうか。ブローニャには天使が見えるという秘め事、実は、ボリスが護符を以て封じ込めようとしていたものは、淫らな狐憑き状態ではなく、ブローニャには天使が見えること、そのことに跳び移っていたのであり、とって代わったこの新しい秘密がブローニャの死を導くのではないが、それは冒涜としてブローニャを汚し、この冒涜が新しい秘め事になる。異端審問の如くに肝試しにかけられたボリスにとって、銃弾が込められているかどうかが宙に浮いてしまうのは(どうでもいいのは)、ボリスの、その「私」そのものが護符になろうとしているからである。ボリスが決然と十二歩かけて白い円に進むのは「私」というものを鎧って背筋が通っているからではなく、それが護符の転写だからであり、十二歩目に「私」を鎧ったボリスは忽然と白い円になって、その極端に私的な封印を以て、何も説明できないようにしてしまうのである。「場所は、床の上に白墨で円が描かれた。それは、自習室の、教壇の右手、以前は丸天井の入り口に開いていたが、今は締切りになっているドアのところの一隅だった。時間は、自習時間ということにする。全生徒が見ている前でやること。」ボリスがすわっている席から、白墨で印をつけた場所まで、ちょうど十二歩、決行するのは、六時五分前、生徒たちが散らばる直前、悪ふざけに気分が悪くなったフィフィは歴史のノートの下半分をやぶいて「ピストルに弾丸がこめてないことは、確かか?」と書いてジョルジュに渡し、更にそれはゲリに渡ったが、ゲリは肩をすくめ、その紙片を丸めて、白墨で印をつけた場所まで弾き飛ばす。ボリスは、十二歩かけて、しかし、その、ゆっくりした足取りは、自動人形の如く、夢遊病の如く、地獄から管を通されていたのである。白い円は、場所でも、場所を占める出来事でもない。
 ボリスの十二歩の、どの一歩も自由ではなく、しかも十二歩かけながら礼拝する如く白い円を繰り返し(十二度も)訪れる。ボリスが祈ろうにも祈りの言葉が見つからなかったのは、十二歩かけて十二度訪れること、距離や速度、重力の揮発が祈りだからである。白い円は、転移する秘密を拘束する、その拘束(命令)が疚しさとなって潜伏する効果としての場所(あてど)と、その効果が解除されて宙に浮いたあてどなさの間に彷徨う。三面記事のような事件、事故、動機では説明が追いつかない。しかし、系統発生的には追い越されている。それが、極端に私的であることを不正として包囲する迫害としての肝試しであり、生贄であることが他の誰かの身体に顕れたためにそのことが度忘れ(しかし、喉元まで上り詰めて来ている)状態で「私」というものがばらばらになる(他の誰かを通して呼吸する)遍在する窃視を以て物語る転写ではないが、秘密の死蔵としての解体を以て狐憑き状態を転写することである。

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