碧痕15 ウィンチェスター73・「Alien」・ええじゃないか
15 ウィンチェスター73・「Alien」・ええじゃないか
千に一挺のウィンチェスター73や虎徹、菊一文字、置き換え難い壷や写本のように人の手から人の手へ渡るものは、写真の如く履歴改竄するのであるが、個々の改竄(発話)の間に「私」というものの如きものが出現し、その「私」がバラバラになる限りで、個々の発話の目撃者として追跡するだけでなく、発話のなかに乗り込んでいく。つまり、遍在する窃視の質料化として目をみひらくのである。
富岳や太陽太陰、TVが同じようにして(遍在する窃視の質料化として)目をみひらき、大気を寂漠に変えるような媒質の真空化(瞬間移動や次元減衰)に於いて、度忘れ(しかし、喉元まで上り詰めて来ている予期)の状態の、人から人へ渡る質料化が、寄生体で、それは、脳や胃袋に埋め込まれた(或いは、外延的付加物に仕込まれた)発信機の如く振る舞う。
脅かしかける「Alien」が、遍在する窃視の質料化として、宇宙船に巡らされた配管という配管、壁という壁、空気の組成にさえ潜み、人体という人体、舌にさえ感染しているのは、物語の発信というものを複写している。宇宙船は無重力空間を航行するというより、媒質が剥き出しになって真空化した宙に浮いているのであり、もうひとりいる、というようなぞっとする気配そのものである。
ええじゃないかの場合、それは狐狸の気配そのものであり、別の幕末に瞬間移動していて、そこからの帰還は迂闊にも(浦島の如く)400 年も過ぎ去っていて、一般化が追いつかない。この踊りの感染が江戸から京へ東海道筋を移って遡上したのは、世を襲う激震が東海道筋の媒質としての地盤を真空化していたからであるが、その裂目は、遍在する窃視の質料化としての富嶽が目をみひらくのではなく、逆に目を閉じて、この失効の埋め合わせに伊勢(太陽太陰)が目をみひらいたのである。しかし、踊り狂う人々が感染している寄生体は夷であり、陶然と踊る人々は陶然と踊る他の人々を通してこの感染を呼吸し、人々の数だけの遍在する窃視が殺到することになる。人々の数だけの「私」がばらばらになり、人々の数の二乗の履歴改竄がふくれ上がった狐狸の気配、それは、狐狸の気配を度忘れした(しかし、喉元まで上り詰めて来ていて予期している)状態が、包囲する脅威として質料化した夷の解除である。
千に一挺のウィンチェスター73や虎徹、菊一文字、置き換え難い壷や写本のように人の手から人の手へ渡るものは、写真の如く履歴改竄するのであるが、個々の改竄(発話)の間に「私」というものの如きものが出現し、その「私」がバラバラになる限りで、個々の発話の目撃者として追跡するだけでなく、発話のなかに乗り込んでいく。つまり、遍在する窃視の質料化として目をみひらくのである。
富岳や太陽太陰、TVが同じようにして(遍在する窃視の質料化として)目をみひらき、大気を寂漠に変えるような媒質の真空化(瞬間移動や次元減衰)に於いて、度忘れ(しかし、喉元まで上り詰めて来ている予期)の状態の、人から人へ渡る質料化が、寄生体で、それは、脳や胃袋に埋め込まれた(或いは、外延的付加物に仕込まれた)発信機の如く振る舞う。
脅かしかける「Alien」が、遍在する窃視の質料化として、宇宙船に巡らされた配管という配管、壁という壁、空気の組成にさえ潜み、人体という人体、舌にさえ感染しているのは、物語の発信というものを複写している。宇宙船は無重力空間を航行するというより、媒質が剥き出しになって真空化した宙に浮いているのであり、もうひとりいる、というようなぞっとする気配そのものである。
ええじゃないかの場合、それは狐狸の気配そのものであり、別の幕末に瞬間移動していて、そこからの帰還は迂闊にも(浦島の如く)400 年も過ぎ去っていて、一般化が追いつかない。この踊りの感染が江戸から京へ東海道筋を移って遡上したのは、世を襲う激震が東海道筋の媒質としての地盤を真空化していたからであるが、その裂目は、遍在する窃視の質料化としての富嶽が目をみひらくのではなく、逆に目を閉じて、この失効の埋め合わせに伊勢(太陽太陰)が目をみひらいたのである。しかし、踊り狂う人々が感染している寄生体は夷であり、陶然と踊る人々は陶然と踊る他の人々を通してこの感染を呼吸し、人々の数だけの遍在する窃視が殺到することになる。人々の数だけの「私」がばらばらになり、人々の数の二乗の履歴改竄がふくれ上がった狐狸の気配、それは、狐狸の気配を度忘れした(しかし、喉元まで上り詰めて来ていて予期している)状態が、包囲する脅威として質料化した夷の解除である。


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