碧痕16 天使の目撃
16 天使の目撃
浦島や鶴女房の話が、帰還すると迂闊にも400 年も過ぎ去っていたり、指、手、腕、肩、胸が羽毛に翼に、口が嘴に変わっていることを以て伝えようと藻掻くのは、、一般化が追いつかない何かであるが、届きえずして、その、届かぬ事態をこそ伝えてしまう。
ロトの妻の場合もそうである。滅ぼされるソドムの町を出て、振り返るな、と禁止されたのに振り返って塩の柱になるロトの妻が目撃したのは、激変ではあるが、崩壊・炎上といった光景なのではなく、町を包んでいた媒質としての大気がまるで固体になったかのように疎々しく剥き出しになって息ができない落下である。この落下は、町の日常にかかっていた惰性が解除されて宙に浮く重力の失調と区別がつかない。息をするのはロトの妻ではない。息をしていることに面してそのことが疑わしい究極の懐疑としての「塵」(無我)こそは、沈黙の塩の柱が模写する変貌なのであり、しかも塩の柱は、人の手から人の手へ渡るのではなく脆くはあるがモニュメントの如く、遍在する窃視の質料化であり、だからこそロトの妻は二人の娘を通して(二人の娘を器官の延長として)孕みさえする。
サライの器官の延長として身ごもったアブラムの使女(つかひめ)ハガルには「曠野の泉の傍らで」一つの身代わりになったヤーウェが、「日の熱き時刻天幕の入口に」坐していたアブラムには三つに分身したヤーウェが、「黄昏のソドムの門の入口に」坐っていたロトには二つの身代わりになったヤーウェが顕れる。それは、疚しさとなって潜伏するヤーウェが盲目の杖つく如くに、汝ハ何處ニヲルヤ、と呼び出す臨在の場所と時刻の報告なのではなく、詛われて離れる感染経路に寄生体が天使として顕れた、その目撃である。
浦島や鶴女房の話が、帰還すると迂闊にも400 年も過ぎ去っていたり、指、手、腕、肩、胸が羽毛に翼に、口が嘴に変わっていることを以て伝えようと藻掻くのは、、一般化が追いつかない何かであるが、届きえずして、その、届かぬ事態をこそ伝えてしまう。
ロトの妻の場合もそうである。滅ぼされるソドムの町を出て、振り返るな、と禁止されたのに振り返って塩の柱になるロトの妻が目撃したのは、激変ではあるが、崩壊・炎上といった光景なのではなく、町を包んでいた媒質としての大気がまるで固体になったかのように疎々しく剥き出しになって息ができない落下である。この落下は、町の日常にかかっていた惰性が解除されて宙に浮く重力の失調と区別がつかない。息をするのはロトの妻ではない。息をしていることに面してそのことが疑わしい究極の懐疑としての「塵」(無我)こそは、沈黙の塩の柱が模写する変貌なのであり、しかも塩の柱は、人の手から人の手へ渡るのではなく脆くはあるがモニュメントの如く、遍在する窃視の質料化であり、だからこそロトの妻は二人の娘を通して(二人の娘を器官の延長として)孕みさえする。
サライの器官の延長として身ごもったアブラムの使女(つかひめ)ハガルには「曠野の泉の傍らで」一つの身代わりになったヤーウェが、「日の熱き時刻天幕の入口に」坐していたアブラムには三つに分身したヤーウェが、「黄昏のソドムの門の入口に」坐っていたロトには二つの身代わりになったヤーウェが顕れる。それは、疚しさとなって潜伏するヤーウェが盲目の杖つく如くに、汝ハ何處ニヲルヤ、と呼び出す臨在の場所と時刻の報告なのではなく、詛われて離れる感染経路に寄生体が天使として顕れた、その目撃である。


0 Comments:
Post a Comment
<< Home