Sunday, September 12, 2010

碧痕17 仙体

17 仙体
 実体として顕れた天使、それは小さな要請(小説)である。
 混世魔の棲処に殴り込みをかけた孫悟空が、体毛を毟って息を吹きかけるや忽ち混世魔に群がりかる子猿ども(その子猿どもも体毛を毟って息を吹きかけるや忽ち・・・というように入れ子になるのではなく、悟空の器官の延長に過ぎないが、その子猿ども)を元に戻しても、元に戻らない子猿どもがいる。
 拉致されていた水簾洞の子猿である。
 刹那のノイズのような衝撃は、現像液の底から浮かび上がる写真の顔のように、悟空の気が陰に退いて浮かび上がった実体の(報告の)、その、隠れていたものが顕れる効果なのか、それとも、遊んでいた子供たちがいつの間にか一人増えている、といったザシキワラシのように、実体に面してそのことが疑わしい媒質の失調(真空化)に戦慄を以て模写発作が起こったのか、つまり、(擬態としての)実体の、その括弧憑きがとれる電撃なのか。発光がノイズのようであるのは跡形もない混同が起こっているのだろう。
 ところで、悟空の駆使する仙術というものは、極端な器官の延長であり、その暴れまくる拡大の極
に於いて被監視の状態になることこそは、つまり、増上慢の悟空を脅かす無我が悟空の行く先々で妖怪変化の気になることこそは、仙体である。妖怪変化として顕れた寄生体の感染経路が西遊の道筋であり、呑み込もうとして迫る妖気を次々と突破することは、大きな魚の胃袋がそれよりも小さな魚を次々と入れ子にしている般若心経に似ているが、茫々として届かぬ天竺を尋ねて、悟空の連祷は紫の煙がエジプトの空に立ち上る如くではなく、暴れるのである。
 悟空が遍在する窃視の質料化でもあることは、悟空がばらばらになる傍ら、精魅の手から手へ悟空が渡ることであり、天の河の底を鎮めたとされる「神珍(如意棒)」が悟空の接近に感応して光り出す(つまり、「物に主がある」)ように、精魅の気に応答して悟空も光り出す。光る悟空は、呑み込まれている。このようにして仙体は宙に浮く。

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