Tuesday, September 21, 2010

碧痕19 蔓植物(カノン)その岬

19 蔓植物(カノン)その岬
 夜ごとに吹くハーモニカ、歌う妻、それは、庄野を以て世を忍ぶ老夫婦が器官を延長したまぐわいである。日々の習慣や年中行事を、季節ごとに芽吹き蕾む花々を子々孫々の登場を、蔓植物のようにカノンの如くに、いや継ぎ継ぎに重複してつづる昼間の声に対位する闇の声としての、蔓植物やカノンの、その岬である。
 末広がる子々孫々とはいえ次々と消えていくのであり、その個々の足取りは、日当たりが悪くなって次々と消えていった「庭のつるばら」(庄野潤三)のなかに思いかけず生き残った株がひょろひょろ伸びている如くである。渥美半島伊良湖岬へ(柳田国男が、往古、海上に漂って流れ寄った人々のいたことを夢想したあの岬へ)、しかも台風が上陸しようかという岬へ、一族が庄野の喜寿の祝いに(祝うことが生きることの根拠であるかの如くに、懐疑なく)盛り上がって旅行することは、どこをどう彷徨って来たか、たしかなのは阿波徳島を経由して細々と移住を重ねて来た血が今なお自然の猛威・酷薄をしのいでささやかなノイズを立てていることである。しかも、一族の長の船底からは、何か不吉に逼るものを感じとった鼠が次々と音もなく別の船に移っていく気配がずうっと続いている。
 こうした闇の声としての、つるばら、台風、鼠が、妻の話す「青春・台風」(コンラッド)を通して岬になるのは、虚構じみている。つまり、ガーネットの「狐になった夫人」が鳥籠の小鳥を横目でじっと見ている、あの場面が妻の舌を通して届くように、庄野の妻は孫悟空の身外身のようなもので、庄野は、実は、物語っている。船底の石炭の粉塵が自然発火し、くすぶっているが未だ誰も気づかず、船の舳先から、鼠がぽとりぽとり、横づけした小船に落ちて移っていくのをふしぎに思ってながめている、そうした場面を妻が話すのは、庄野が放心しかけているのであり、蔓植物やカノンの、その岬なのである。つるばらも、移動する鼠の気配も、寄生体の如くに闇を孕んで、感応して光り出している。

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