碧痕21 小綬鶏、思いがけない附録
21 小綬鶏、思いがけない附録
「野鴨」(庄野潤三)の基調はグロテスクである。栽培植物としてのトウモロコシがこの世ならぬ野生のトウモロコシに連れ戻されていることの変奏であり、2040年の気配に被曝した一族が、その正体を小綬鶏としてあらわす話である。
それは、次男に「誰かがいる」という薄気味悪い気配となって脅かしかけもすれば、多摩丘陵に鉄砲を担いで小綬鶏撃ちに入った河上徹太郎のそばから、発砲されるごとに小綬鶏に戻って庄野がバサバサ羽打ちをおこし飛び立ってしまいそうにもなる。或いは、二羽の小綬鶏となって(晩年の、四羽の飛来を前触れて)庭に飛来する。
しかし「野鴨」のみかけは何の変わり映えもしないのであり、精々カノンの常習である。新奇・変化への要請に屈し、その欠如を恐れるあまり、あやうく2040年が既に始まっている気配を失いそうになる。この関心は強いがしかし漠としており、忽如、上の兄が出て来る夢になる。そこで何を話したのか跡形もないのであるが、その、何か懐かしい夢が顕在化するために打ち消されたものが或る記憶となって不随意に浮上する。それは、兄と映画に行くのに喫茶店で待ち合わせた記憶、不良のように見られるのを恐れるあまり人目を避けたために、気づかれるようにしなければならない本分をおろそかにしてもう少しで時間に間に合わなくなりかけ、叱られた記憶である。
優先する大事は、駆り立てるものは、あの、跡形もない真空化の気配である。庄野の舌は、この、この世ならぬ気配を伝えようとするそのそばから嘴になってしまう。この世に帰還しない。だからこそ「野鴨」は、この気配を二つに分割してこの世に送り込もうと決意する。すなわち、トーテムとしての小綬鶏、そして「思いがけない附録」である。
2040年の気配を吹きつけられ今を主張してこらえている一族に降りかかる出来事、拘束する習慣・精神は、ラグビー観戦の日に胸にしみたイチョウの黄葉、その、贅沢に散り積った落葉、踏みつけられて粉々になった葉屑のあつみが、その日の思いがけない附録であったように、生きることの思いがけない(従って半ば予期されていた)附録であり、ラグビー観戦そのものが思いがけない附録なのである。
小綬鶏と「思いがけない附録」が収斂する限りで、「野鴨」は、そのような思いがけない附録があちこちで光り出している、その光の採取、落穂ひろいのようなものである。
「野鴨」(庄野潤三)の基調はグロテスクである。栽培植物としてのトウモロコシがこの世ならぬ野生のトウモロコシに連れ戻されていることの変奏であり、2040年の気配に被曝した一族が、その正体を小綬鶏としてあらわす話である。
それは、次男に「誰かがいる」という薄気味悪い気配となって脅かしかけもすれば、多摩丘陵に鉄砲を担いで小綬鶏撃ちに入った河上徹太郎のそばから、発砲されるごとに小綬鶏に戻って庄野がバサバサ羽打ちをおこし飛び立ってしまいそうにもなる。或いは、二羽の小綬鶏となって(晩年の、四羽の飛来を前触れて)庭に飛来する。
しかし「野鴨」のみかけは何の変わり映えもしないのであり、精々カノンの常習である。新奇・変化への要請に屈し、その欠如を恐れるあまり、あやうく2040年が既に始まっている気配を失いそうになる。この関心は強いがしかし漠としており、忽如、上の兄が出て来る夢になる。そこで何を話したのか跡形もないのであるが、その、何か懐かしい夢が顕在化するために打ち消されたものが或る記憶となって不随意に浮上する。それは、兄と映画に行くのに喫茶店で待ち合わせた記憶、不良のように見られるのを恐れるあまり人目を避けたために、気づかれるようにしなければならない本分をおろそかにしてもう少しで時間に間に合わなくなりかけ、叱られた記憶である。
優先する大事は、駆り立てるものは、あの、跡形もない真空化の気配である。庄野の舌は、この、この世ならぬ気配を伝えようとするそのそばから嘴になってしまう。この世に帰還しない。だからこそ「野鴨」は、この気配を二つに分割してこの世に送り込もうと決意する。すなわち、トーテムとしての小綬鶏、そして「思いがけない附録」である。
2040年の気配を吹きつけられ今を主張してこらえている一族に降りかかる出来事、拘束する習慣・精神は、ラグビー観戦の日に胸にしみたイチョウの黄葉、その、贅沢に散り積った落葉、踏みつけられて粉々になった葉屑のあつみが、その日の思いがけない附録であったように、生きることの思いがけない(従って半ば予期されていた)附録であり、ラグビー観戦そのものが思いがけない附録なのである。
小綬鶏と「思いがけない附録」が収斂する限りで、「野鴨」は、そのような思いがけない附録があちこちで光り出している、その光の採取、落穂ひろいのようなものである。


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