Wednesday, October 13, 2010

碧痕25 一滴の露

25 一滴の露
 素材としての粘土に形式を与える、すなわち熱平衡から取り出すことは、形式としての陶器が具体としての陶器となって化けて出ると同時に潜伏することである。それは、Ghost に属さなくなることを通してGhost に属する神通である。この裂目(Ghost のかかる具体)に面しての生体反応の一つが嫉妬である。
 宝が持主の接近に応答して光り出すのも、こうした裂目の覚醒(神通)であり、熱を孕んでいた宝は、持主に属さなくなることを通して光り出す(持主に属する)のであり、従って、宝というものは光り出している限りで持主の掌中からこぼれ落ちていて、それは盗まれているようなもので、私有制が追いつかない。
 宝の持主であることに面してそのことが疑わしい嫉妬(下病み)の世俗化は、宝が盗まれていること(つまり、器官の延長としての他の誰かの接近に応答する如くに光り出している宝)に面しての生体反応である。孫悟空と妖怪変化との戦いが互角であるのは、その戦いが、妖邪に応答する如くに光り出している宝(武器)に面しての生体反応(懐疑、嫉妬)だからである。神通としての如意棒(宝)をうっかり見失っているために、妖邪と盗まれた宝が覚醒しているのである。
 そのようにして引き裂かれていることに面して、模写発作としての嫉妬は、うっかり見失った宝が他の誰かに応答する如くに光り出して(盗まれて)、祟られているのである。
 道成寺の異伝では、鐘に隠れた若い修行僧は蛇体をあらわした瞋恚のほむらに鐘ごと巻きつかれ、抱き竦められて灰になるのではなく、一滴の露になる。その露は、瞋恚の炎熱に蒸発するのではなく、高熱を孕んで結ぶのである。若い僧がいつか通りかかるのを漠として待ち侘びていた女体に応答して若い僧が光り出したのは、このmetamorphosis の前触れに過ぎない。蛇体が宝としての露をうっかり失くしたために妖邪としての若い僧と一滴の露が(盗まれたように)覚醒しているのであり、この、若い僧こそが蛇体の器官の延長である、誘惑の逆転と、若い僧と一滴の露の生贄のような収斂を通して、夢のように引き裂かれていることに面して、なごり惜しさと瞋恚は、この逆転と収斂の通路を逆流する。蛇体と若い僧との互角の追跡と遁走は、この逆流である。

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