Saturday, October 16, 2010

碧痕26 鬼子の誕生

26 鬼子の誕生
 「・・・お前らの学校ではマリヤ様が神霊に感じて孕んだということになってるじゃろうが、ミス・ケートさんがなんと頑張ってもあれだけは嘘じゃ。もっとも人間の社会生活にはあんな嘘が必要かも知れんて、昆虫の生活でも鳥の生活でもよく観察すると、嘘と名づけてよいかどうか疑問だが、ともかく最後の一カ所にあいまいなぼうっとしたものがあって、それが彼らの群居生活を円滑ならしめている・・・」(「若い人」石坂洋次郎)
 極まる最後の、曖昧にぼうっと霞がかかるところ、それは嘘なのではなく、消されていた嘘の気配が息づくところ、しかし、鎧われていた直しさこそは嘘(架空)なのであるから、この奇怪な擬態が解けるところなのであり、この擬態に打ち消されて疚しさとなって潜伏していたものは、嘘なのではなく、真偽、虚実の範疇が追いつかない媒体性である。受胎告知が何よりも嘘じみてしかも何よりも本当らしくゴーストがかかって迫るのは、真偽、虚実の範疇が暗礁に乗り上げたからであり、嘘の気配を消す擬態が解けて嘘としての直しさが剥き出しになったからである。具体の極は、ゴーストがかかってピンぼけであるが神通であり、その擬態としての伝達が生活を分業に於いて組織する。受胎告知のマリアが宙に浮かずに日々の生活に組み込まれるとすれば、それは、生贄であることを専ら引き受けて、人々は生贄であることを蜥蜴の尻尾のように切り離していられるからである。

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