碧痕27 青い淵
27 青い淵
女体と修行僧の間に、人と異類の間に、というふうに(変換は様々に)引き裂かれていることは、「私」というものを擬態として鎧う媒体性の、その、真偽、虚実の範疇が追いつかない(しかし、系統発生的に追い越された)分裂が、幻の縁として転写されたものである。
「お前だってうろ覚えに覚えているにちがいない。お前が四つの時だったもの。そン時私はどうしても死にたくなって、お前を歩かせたりおんぶしたりして・・・」(「若い人」)つまり、
むかしむかし、若い母と幼い娘と、山間の、深い淵のあるところに行った。夏のお日様が明るく照って、燕がスイスイ飛んでいた。
ふたりは、淵の上の草原で昼食をいただいた。「あの時のお菜は、卵焼きと、パイナップルの罐詰と、糸蒟蒻の煮付けと、川鮭の焼き物と、みんなお前の好きなものばかりだった・・・」食事がすんでから、ふたりは、それはそれは楽しくあそんだ。
そうしているうちに、若い母は急に眠気におそわれた。「身体をそっくり土の中に沈ませて・・・手足の指先から、一本ずつの髪の毛に至るまで・・・静かな、長い長い、溶けかかるような・・・青く沈んだ淵の色、お日様の光を通す一本ずつの草の色、淡く涯てしない空の色・・・」若い母は幼い娘を誘ったが、幼い娘は睨まえるようにして、強く首を振るばかりだった。若い母はしんそこからムラムラ憤った。
幼い娘は、草をむしってつめこむのに懸命で、若い母は、花でも摘みとるようにいそいそと、背丈ぐらいの崖を藤蔓につかまって水際に下りていった。「その途中で私は何かの細い棘を右の人差指に突きさした・・・痛かったこと・・・私は片手を藤蔓にからみ、頭のピンを用いて人差指の棘を抜きにかかった・・・」静かだあ、若い母は、それぎり青い淵に溺れていった。
眼をあくと青い藻草がなびいていた。お日様の光がうすぼんやり底まで届いていた。「小魚どもも尾鰭を利口そうにふり動かして泳いでいたし、その可愛らしい目玉でみなけげんそうに私の方を盗み見するので、私は笑い出したくなって苦しくてたまらなかった・・・」
ふと気がつくと、そこは、広い広い荒れ果てた野原で、しかも天地のありさまがただごとではない。明るくなったかと思えば薄暗くなり、また明るくなり暗くなり、異様な物音が襲いかかるような、そんなおそろしい野原に、人といえば幼い娘たった一人ぎりで、一つ処をグルグル駈け回っていた。「足だけ高く上げるが一向前へは進まないような走り方でね。眼の色が据って、声もたてず・・・天地のありさまがただごとでないものだから・・・」
若い母は助けずにはおかないと決心して、水の上に浮き出そうと藻掻いた。すると浮くのではなく、身の丈が一丈も二丈もズルズル伸びて、身体中が抜け首のように柔らかく細長くどこまでも無気味にズルズル伸びていく。「その哀しい気持ったら誰も知りはしない・・・やっと岸に匍い上がると・・・私は藤蔓にすがって出来るだけ身を逆しまにして水を吐き出した。崖の上によじ登ってお前を見ると・・・天地は暗くなり明るくなり上下左右に回転しているような中で、お前はやっぱり青草をつめた赤い子供靴を後生大切に抱え、眼を白くひきつらせ、声もあげ得ないで、一つ所を足だけむやみに高く上げてグルグル駈けまわっている・・・」
若い母は四つ足で匍い寄り、目の前を駈け過ぎようとするのを人さらいのようにしっかと抱え込んだ。「お前は人形のように軽かった。」気力が抜け切って倒れるばかりのところだったが、幼い娘の手足はなおもピクピク駈け続けていた。青空には浮雲が漂っていて、お日様を遮り、地面が翳ったり照らし出されたりして、櫟林はざわめいていた。「でもそんなことがなんだろう」
若い母がというより幼い娘こそがうっかり宝を失くしたために、妖邪が覚醒したのである。幼い娘は、若い母以上に眠り濃くずうっと年をとった若い母を(淵のヌシにさらわれる、というふうに)孕んでしまう。幼い娘は保護されたのではなく、淵に抱き竦められたのであり、抜け首のように伸びる大蛇の気を吐き出した若い母の、うっかり400 年も過ぎ去っているような、その帰還とは、その幼い娘が年頃になってその淵に連れ戻される、そうした約束なのである。こうした、引き裂かれた覚醒が、鬼子の誕生である。若い母がズルズルどこまでも伸びて大蛇にならないように、器官の延長としての鬼子が切り離されたのであるが、それは抜け首のように伸びる若い母を孕んでしまう。青い淵の如くである。
青草を赤い子供靴に強迫的に詰め込むのは、宝を(持っていたとも知らずに)水中に見失ったことの埋め合わせなどではなく、これから見失うことの埋め合わせを発作的に模写しているように、一つ処をぐるぐる駆け回るのは、孤児のように取り残されている孤独から空しく遁走しようとするのではなく、これからうっかり宝を見失うことを通して擬態として鎧うことになる孤独からの遁走の、その空回りを前触れている。更には、宝を見失うことを通して青い淵から脱け出そうとしても青い淵に連れ戻されてしまうことを、円を以て、更にはまた、擬態として鎧われた直しさが解けた天地の青さの、ものでも場所でもない、その、久方の、具体の極のピンぼけに面して、痙攣を以て、模写発作が起きているのである。
女体と修行僧の間に、人と異類の間に、というふうに(変換は様々に)引き裂かれていることは、「私」というものを擬態として鎧う媒体性の、その、真偽、虚実の範疇が追いつかない(しかし、系統発生的に追い越された)分裂が、幻の縁として転写されたものである。
「お前だってうろ覚えに覚えているにちがいない。お前が四つの時だったもの。そン時私はどうしても死にたくなって、お前を歩かせたりおんぶしたりして・・・」(「若い人」)つまり、
むかしむかし、若い母と幼い娘と、山間の、深い淵のあるところに行った。夏のお日様が明るく照って、燕がスイスイ飛んでいた。
ふたりは、淵の上の草原で昼食をいただいた。「あの時のお菜は、卵焼きと、パイナップルの罐詰と、糸蒟蒻の煮付けと、川鮭の焼き物と、みんなお前の好きなものばかりだった・・・」食事がすんでから、ふたりは、それはそれは楽しくあそんだ。
そうしているうちに、若い母は急に眠気におそわれた。「身体をそっくり土の中に沈ませて・・・手足の指先から、一本ずつの髪の毛に至るまで・・・静かな、長い長い、溶けかかるような・・・青く沈んだ淵の色、お日様の光を通す一本ずつの草の色、淡く涯てしない空の色・・・」若い母は幼い娘を誘ったが、幼い娘は睨まえるようにして、強く首を振るばかりだった。若い母はしんそこからムラムラ憤った。
幼い娘は、草をむしってつめこむのに懸命で、若い母は、花でも摘みとるようにいそいそと、背丈ぐらいの崖を藤蔓につかまって水際に下りていった。「その途中で私は何かの細い棘を右の人差指に突きさした・・・痛かったこと・・・私は片手を藤蔓にからみ、頭のピンを用いて人差指の棘を抜きにかかった・・・」静かだあ、若い母は、それぎり青い淵に溺れていった。
眼をあくと青い藻草がなびいていた。お日様の光がうすぼんやり底まで届いていた。「小魚どもも尾鰭を利口そうにふり動かして泳いでいたし、その可愛らしい目玉でみなけげんそうに私の方を盗み見するので、私は笑い出したくなって苦しくてたまらなかった・・・」
ふと気がつくと、そこは、広い広い荒れ果てた野原で、しかも天地のありさまがただごとではない。明るくなったかと思えば薄暗くなり、また明るくなり暗くなり、異様な物音が襲いかかるような、そんなおそろしい野原に、人といえば幼い娘たった一人ぎりで、一つ処をグルグル駈け回っていた。「足だけ高く上げるが一向前へは進まないような走り方でね。眼の色が据って、声もたてず・・・天地のありさまがただごとでないものだから・・・」
若い母は助けずにはおかないと決心して、水の上に浮き出そうと藻掻いた。すると浮くのではなく、身の丈が一丈も二丈もズルズル伸びて、身体中が抜け首のように柔らかく細長くどこまでも無気味にズルズル伸びていく。「その哀しい気持ったら誰も知りはしない・・・やっと岸に匍い上がると・・・私は藤蔓にすがって出来るだけ身を逆しまにして水を吐き出した。崖の上によじ登ってお前を見ると・・・天地は暗くなり明るくなり上下左右に回転しているような中で、お前はやっぱり青草をつめた赤い子供靴を後生大切に抱え、眼を白くひきつらせ、声もあげ得ないで、一つ所を足だけむやみに高く上げてグルグル駈けまわっている・・・」
若い母は四つ足で匍い寄り、目の前を駈け過ぎようとするのを人さらいのようにしっかと抱え込んだ。「お前は人形のように軽かった。」気力が抜け切って倒れるばかりのところだったが、幼い娘の手足はなおもピクピク駈け続けていた。青空には浮雲が漂っていて、お日様を遮り、地面が翳ったり照らし出されたりして、櫟林はざわめいていた。「でもそんなことがなんだろう」
若い母がというより幼い娘こそがうっかり宝を失くしたために、妖邪が覚醒したのである。幼い娘は、若い母以上に眠り濃くずうっと年をとった若い母を(淵のヌシにさらわれる、というふうに)孕んでしまう。幼い娘は保護されたのではなく、淵に抱き竦められたのであり、抜け首のように伸びる大蛇の気を吐き出した若い母の、うっかり400 年も過ぎ去っているような、その帰還とは、その幼い娘が年頃になってその淵に連れ戻される、そうした約束なのである。こうした、引き裂かれた覚醒が、鬼子の誕生である。若い母がズルズルどこまでも伸びて大蛇にならないように、器官の延長としての鬼子が切り離されたのであるが、それは抜け首のように伸びる若い母を孕んでしまう。青い淵の如くである。
青草を赤い子供靴に強迫的に詰め込むのは、宝を(持っていたとも知らずに)水中に見失ったことの埋め合わせなどではなく、これから見失うことの埋め合わせを発作的に模写しているように、一つ処をぐるぐる駆け回るのは、孤児のように取り残されている孤独から空しく遁走しようとするのではなく、これからうっかり宝を見失うことを通して擬態として鎧うことになる孤独からの遁走の、その空回りを前触れている。更には、宝を見失うことを通して青い淵から脱け出そうとしても青い淵に連れ戻されてしまうことを、円を以て、更にはまた、擬態として鎧われた直しさが解けた天地の青さの、ものでも場所でもない、その、久方の、具体の極のピンぼけに面して、痙攣を以て、模写発作が起きているのである。


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