Sunday, November 14, 2010

碧痕31 二重の通過

31 二重の通過
 既視感を映像にするには、覗く観客が障害になる。勢い、科白を以て指示することになる。「青幻記」で少年と母が島に上陸するシーンでも、「Stranger than Paradise」で雪の積ったクリーブランドの引き込み線を横切るシーンでも、科白で補って甘んずる。
 植物学者であるETが、地球の森の植物相に無我夢中になって誘われるように彷徨ううちに崖の端にでて、そこから崖下に町の灯が(ETからすれば野生の灯が)隠沼のように広がっているのを見下ろすシーンは、既視感にparaphraseされてもしかるべき裂目である。
 この裂目では、覗き穴は盗まれている。「誰かがいる」という薄気味悪く迫る発作的な抽象の気配が、「見られている」(受動、尊敬、自発、可能の収斂)に屈折し、更に「既視感」にparaphrase(散文化)されるのである。遠いというだけで見えなかったものが見えるようになったのに追い越してしまっていて、二重に通過するのである。

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