Tuesday, December 21, 2010

碧痕38 反「一粒の麦もし地に落ちて死なば・・・」

38 反「一粒の麦もし地に落ちて死なば・・・」
受信と発信の分業の、その擬態の気配が打ち消されている限りで、「一粒の麦もし地に落ちて死なば・・・」の如く個別化されて種(一般)は保存される。というより、それは拡張する。というのも、個―種と部分―全体が混同されているからである。個―種と具体―形式の混同が特殊―普遍であるが、個―種と部分―全体の混同が要素―集合で、「漱石」と呼ばれる集合は証明できない全体に向かって拡張し続ける。この拡張は、出現すると同時に逃れ去るのであり、「一粒の麦もし地に落ちて死なば・・・」は、要素―集合の枠組によって制圧しようとする実験が有効な時代の、その経済が資本主義になることを予示している。
 一方「麦死なず」(石坂洋次郎)は、そこで展開する男と女のすったもんだが階級的覚醒と闘争と文学といったものを婚姻色とする擬態の記録であるが、その婚姻色の精で反「一粒の麦もし地に落ちて死なば・・・」というのではなく、被再読を、従って資本となることを拒むポーズを以て「一粒の麦もし地に落ちて死なば・・・」の実験に留まる擬態の気配なのである。そうした取り消しの傾向は、この記録の隅々にも普く、顰蹙と顔を赤らめる事態になる。思わず笑ってしまうおかしさの源泉でもある。

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