碧痕42 終結法、コモリヌ
42 終結法、コモリヌ
物語が、静止画像(時間の拡大(スロー・モーション)の極)を以て終わらないのであるのならば、何事もなかったようにまた一日が始まった、というように、ズーム・アップして来た物語から一気に遠ざかること、平穏無事の日常の広がり(流域)を以てする。パニック映画や「MW」「黄金のトランク」などの終結法も静止画像ではなく、何事もなかったように・・・である。
こうした拡張の極に於いて一気に収縮するもう一つの終結法が、「百年の孤独」や「紅楼夢」「アドルフに告ぐ」などに見られる。一方は大気を寂漠にし、もう一方は擬似奥行(入れ子)にする。
このように、物語の終結法は、生贄であることの同毒療法として物語る衝動の、その解と展開を要約する。
「千夜一夜」のように展開が入れ子であると、覗き穴が涌き出すごとにコモリヌにかかる露出時間が巻き戻されてしまう。これは、迂闊にも400 年が過ぎ去ってしまっていることのparaphraseである。
コモリヌが地形として写真にうつらないままに別のコモリヌにかかる別の露出時間がうごき出してしまうのである。
孫悟空の神通は唐と天竺の距離を廃棄して瞬間移動する如く広大であるが、それは、「西遊記」の展開が、大視症の極に於いて覗き穴を盗まれているピンぼけに繰り返し連れ戻されること、すなわち、繰り出される妖怪変化の棲む仙洞(コモリヌ)に繰り返し連れ戻されること、つまり、入れ子であることを、しかし部分が全体を代表するような入れ子というより、部分が全体を代表するためにその部分がどの部分とも入れ替わるような入れ子であることを、密告している。
物語が、静止画像(時間の拡大(スロー・モーション)の極)を以て終わらないのであるのならば、何事もなかったようにまた一日が始まった、というように、ズーム・アップして来た物語から一気に遠ざかること、平穏無事の日常の広がり(流域)を以てする。パニック映画や「MW」「黄金のトランク」などの終結法も静止画像ではなく、何事もなかったように・・・である。
こうした拡張の極に於いて一気に収縮するもう一つの終結法が、「百年の孤独」や「紅楼夢」「アドルフに告ぐ」などに見られる。一方は大気を寂漠にし、もう一方は擬似奥行(入れ子)にする。
このように、物語の終結法は、生贄であることの同毒療法として物語る衝動の、その解と展開を要約する。
「千夜一夜」のように展開が入れ子であると、覗き穴が涌き出すごとにコモリヌにかかる露出時間が巻き戻されてしまう。これは、迂闊にも400 年が過ぎ去ってしまっていることのparaphraseである。
コモリヌが地形として写真にうつらないままに別のコモリヌにかかる別の露出時間がうごき出してしまうのである。
孫悟空の神通は唐と天竺の距離を廃棄して瞬間移動する如く広大であるが、それは、「西遊記」の展開が、大視症の極に於いて覗き穴を盗まれているピンぼけに繰り返し連れ戻されること、すなわち、繰り出される妖怪変化の棲む仙洞(コモリヌ)に繰り返し連れ戻されること、つまり、入れ子であることを、しかし部分が全体を代表するような入れ子というより、部分が全体を代表するためにその部分がどの部分とも入れ替わるような入れ子であることを、密告している。


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