碧痕45 オルゴール仕掛けの太陽
45 オルゴール仕掛けの太陽
幕末、コレガ日本ナンダゾ と地球儀を指さされる瞬間、その虚構のエラー状態に於いてリトル・ナースのメンソレータムのように出現する擬似奥行(入れ子)が、明治になって、もう一つの擬似奥行(被監視状態)に水平化する。平田篤胤の、御蔭で黒船が「世界」を曳航して来るというような大視症の極に於いて覗き穴が盗まれるのである。「世界」の包囲は、夢の如く訂正不能にして、恐慌の如く神国日本の拡張は一気に収縮する。伊藤博文の恐露症は、勤王の志士の幕府を呑み込む膨張が一気に萎縮して胃がひっくりかえって喉から飛び出すような痙攣の、その谺であり、南下する露西亜は南下する露西亜以上に膨れ上がっている。大津事件に先立って、西郷が露西亜から帰って来るといったうわさが漂ったように、打ち消されたものを孕んでふくれあがるのである。
日英同盟さえ操作され誘導されたに過ぎないことを、ポーツマス講和会議の、思いがけない(従って予期されていた)屈辱に面して、憤怒を以て模写する、つまり、思い知らされながらその認識は打ち消されて潜伏する。
一方、被監視状態が幸徳秋水や大杉栄に顕れたために明治の日本も大正の日本も度忘れの(しかし、喉元まで上り詰めて来ている)状態になりもするが、露西亜の拡張する影、その延長としての朝鮮人襲来の気配があふれ出した流言蜚語や、ソヴィエトの赤い吐息を吹きつけられ、ハレー彗星の接近に剥き出しになった空気が息苦しく迫るように、二百十日の大地が薄気味悪く暴れて迫るように(或いは誰かが揺さぶっているみたいに)民族の霊こそは民族を脅かす。8.6 や8.9 の如き民族の厄日にかかる禍々しい太陽は、陽暦の太陽でも陰暦の太陽でもなく、出現すると同時に潜伏して、民族の鎧う擬態が解けている。
「幕末太陽伝」(川島雄三)は、ズーム・アップから(何事もなかったように)一気に遠ざかる終結法を以て始まる。つまり、タイム・スリップして(同じこの場所で)一気にズーム・アップするのである。品川宿相模屋で攘夷、焼打ちを画策する高杉晋作が落とした時計、その、高杉晋作が上海で手に入れた懐中時計は、しかも同時に太平洋戦争後の品川をも占めることを主張するように、微かに清らかに音楽を奏で、オルゴール仕掛けなのかとはっとしもするが、幕末の、その場面の、その懐中時計とは別の源泉から聞こえて来ると思い直される。2040年が既に始まっていてもさがみ屋が今を主張する惑星の、その遊弋が鎧う虚構の解除を奏でる音楽の、その神通は、何か届かない。それは、その場面を修飾するために黛敏郎が添えた楽譜では伝わらないのである。
しかし、時計が太陽の運行を模写するように、星辰の運行を代表する天文、人文が正史であれ稗史であれ、虚構を鎧った星辰の運行は、その、擬態の気配の消せないエラー状態に於いて序列が一気に収斂して縮み上がる。こうした恐慌を「幕末太陽伝」は幕末の衝動としてなぞる。英国公使館焼打ちの年の、その星辰の配列を服従の運動とする命令が極東の日本の世相をも支配する占星術的転写を以て、つまり、日本の世相を星辰の配列が抽象しているといった虚構を通して、高杉晋作を抽象する世と居残り佐平次を抽象する世が、オルゴール仕掛けの懐中時計に収束する。この収束を通して、高杉晋作と居残り佐平次が入れ替わるだけでなく、誰とでも入れ替わる。こうした履歴改竄の衝動、虚構の解除としての(虚構の気配が消せない)恐慌が、秘密になって祟り返すのが、明治の日本の神経衰弱であるが、幕末の、このオルゴール仕掛けの太陽は、無礼講も一揆も、お蔭参りも、暗殺も越境も解とする衝動なのである。
幕末、コレガ日本ナンダゾ と地球儀を指さされる瞬間、その虚構のエラー状態に於いてリトル・ナースのメンソレータムのように出現する擬似奥行(入れ子)が、明治になって、もう一つの擬似奥行(被監視状態)に水平化する。平田篤胤の、御蔭で黒船が「世界」を曳航して来るというような大視症の極に於いて覗き穴が盗まれるのである。「世界」の包囲は、夢の如く訂正不能にして、恐慌の如く神国日本の拡張は一気に収縮する。伊藤博文の恐露症は、勤王の志士の幕府を呑み込む膨張が一気に萎縮して胃がひっくりかえって喉から飛び出すような痙攣の、その谺であり、南下する露西亜は南下する露西亜以上に膨れ上がっている。大津事件に先立って、西郷が露西亜から帰って来るといったうわさが漂ったように、打ち消されたものを孕んでふくれあがるのである。
日英同盟さえ操作され誘導されたに過ぎないことを、ポーツマス講和会議の、思いがけない(従って予期されていた)屈辱に面して、憤怒を以て模写する、つまり、思い知らされながらその認識は打ち消されて潜伏する。
一方、被監視状態が幸徳秋水や大杉栄に顕れたために明治の日本も大正の日本も度忘れの(しかし、喉元まで上り詰めて来ている)状態になりもするが、露西亜の拡張する影、その延長としての朝鮮人襲来の気配があふれ出した流言蜚語や、ソヴィエトの赤い吐息を吹きつけられ、ハレー彗星の接近に剥き出しになった空気が息苦しく迫るように、二百十日の大地が薄気味悪く暴れて迫るように(或いは誰かが揺さぶっているみたいに)民族の霊こそは民族を脅かす。8.6 や8.9 の如き民族の厄日にかかる禍々しい太陽は、陽暦の太陽でも陰暦の太陽でもなく、出現すると同時に潜伏して、民族の鎧う擬態が解けている。
「幕末太陽伝」(川島雄三)は、ズーム・アップから(何事もなかったように)一気に遠ざかる終結法を以て始まる。つまり、タイム・スリップして(同じこの場所で)一気にズーム・アップするのである。品川宿相模屋で攘夷、焼打ちを画策する高杉晋作が落とした時計、その、高杉晋作が上海で手に入れた懐中時計は、しかも同時に太平洋戦争後の品川をも占めることを主張するように、微かに清らかに音楽を奏で、オルゴール仕掛けなのかとはっとしもするが、幕末の、その場面の、その懐中時計とは別の源泉から聞こえて来ると思い直される。2040年が既に始まっていてもさがみ屋が今を主張する惑星の、その遊弋が鎧う虚構の解除を奏でる音楽の、その神通は、何か届かない。それは、その場面を修飾するために黛敏郎が添えた楽譜では伝わらないのである。
しかし、時計が太陽の運行を模写するように、星辰の運行を代表する天文、人文が正史であれ稗史であれ、虚構を鎧った星辰の運行は、その、擬態の気配の消せないエラー状態に於いて序列が一気に収斂して縮み上がる。こうした恐慌を「幕末太陽伝」は幕末の衝動としてなぞる。英国公使館焼打ちの年の、その星辰の配列を服従の運動とする命令が極東の日本の世相をも支配する占星術的転写を以て、つまり、日本の世相を星辰の配列が抽象しているといった虚構を通して、高杉晋作を抽象する世と居残り佐平次を抽象する世が、オルゴール仕掛けの懐中時計に収束する。この収束を通して、高杉晋作と居残り佐平次が入れ替わるだけでなく、誰とでも入れ替わる。こうした履歴改竄の衝動、虚構の解除としての(虚構の気配が消せない)恐慌が、秘密になって祟り返すのが、明治の日本の神経衰弱であるが、幕末の、このオルゴール仕掛けの太陽は、無礼講も一揆も、お蔭参りも、暗殺も越境も解とする衝動なのである。


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