碧痕55 入れ替わる準備
55 入れ替わる準備
新婚初夜に四崩れの末裔であると告げずにはいられない肺浸潤の男と若い看護婦とが明日の五時半に待ち合わせることにするささやかな約束、その看護婦の姉の羊水には五本指に分岐してピラピラした気色の悪か手を持つ赤ちゃんが産声を準備し、もう一人の未婚の看護婦のおなかでは減速撮影された系統発生が急速に展開しはじめているのに男は戻って来ない、肺浸潤の男の義父だというフランス料理の元コックの写真屋が得意のオムレツで明日むかしの弟子の出征を見送ろうと鶏卵を調達に来た先で重度に精神を冒され入院している娘を明日引き取りにいかなければならない愚痴話に巻き込まれる、そうした諸々の明日、法則的に保持されている日常としての明日が、8.9,11:02 壊滅する。それは、日常性が解ける寂滅ではない。しかし壊滅の潜在内容が寂滅であるかのように、法則としての明日が嘘じみるのである。(「明日」井上光晴)
「スリ」(黒木和雄)の被監視状態は、ホームで掏った瞬間に向かいのホームに現れる刑事、というふうにだけでなく、スリがくつろいでいる背後のテーブルの上の、鉢植えの植物をはべらせた石膏像、という仕方でも現れる。それは、良心が蛇の影に凝って脅かすのではなく、二本の指に上り詰めて来ている衝迫、アル中振顫によって久しく打ち消され、疚しさとなって疼いていた衝迫が分身して脅かしかけるのであり、アルコールの麻痺作用は二本の指に疚しさを解いて覚醒しようとしているものにこそ及んでいたのである。
それは何か。掏る技術ではない。況して掏る秘法の伝授は見当違いでしかない。強迫的に掠め盗る身振り発作が静止画像になるまでスロー・モーションを拡大して劇化しても、歴然とするのは掏る動作だけである。左のポッケにゃチューインガム、そして右のポッケにあるはずのもの、あるはずの明日を右の二本の指で繰り返し吊り上げてみるが、それはどれもこれも、打ち消された昭和の媒体としてのその後、打ち消された明日を映し出す隠喩的到達・保存としてのその後であるために、上り詰めて来ているものが萎えてしまうのである。もう明日など尋ねない、それがアル中振顫だったのであるが、しかし、その二本の指が蹂躙され、踏み潰されようとして俄然、励起しはじめるのである。俄然、我に返ったのではなく、入れ替わる準備として分身が励起するのである。
「紙屋悦子の青春」(黒木和雄)を総括するのも、この、入れ替わる準備としての分身であり、それが、紙屋悦子に打ち寄せて来る重波(しきなみ)の気配となって出現し、同時に潜伏するものである。
新婚初夜に四崩れの末裔であると告げずにはいられない肺浸潤の男と若い看護婦とが明日の五時半に待ち合わせることにするささやかな約束、その看護婦の姉の羊水には五本指に分岐してピラピラした気色の悪か手を持つ赤ちゃんが産声を準備し、もう一人の未婚の看護婦のおなかでは減速撮影された系統発生が急速に展開しはじめているのに男は戻って来ない、肺浸潤の男の義父だというフランス料理の元コックの写真屋が得意のオムレツで明日むかしの弟子の出征を見送ろうと鶏卵を調達に来た先で重度に精神を冒され入院している娘を明日引き取りにいかなければならない愚痴話に巻き込まれる、そうした諸々の明日、法則的に保持されている日常としての明日が、8.9,11:02 壊滅する。それは、日常性が解ける寂滅ではない。しかし壊滅の潜在内容が寂滅であるかのように、法則としての明日が嘘じみるのである。(「明日」井上光晴)
「スリ」(黒木和雄)の被監視状態は、ホームで掏った瞬間に向かいのホームに現れる刑事、というふうにだけでなく、スリがくつろいでいる背後のテーブルの上の、鉢植えの植物をはべらせた石膏像、という仕方でも現れる。それは、良心が蛇の影に凝って脅かすのではなく、二本の指に上り詰めて来ている衝迫、アル中振顫によって久しく打ち消され、疚しさとなって疼いていた衝迫が分身して脅かしかけるのであり、アルコールの麻痺作用は二本の指に疚しさを解いて覚醒しようとしているものにこそ及んでいたのである。
それは何か。掏る技術ではない。況して掏る秘法の伝授は見当違いでしかない。強迫的に掠め盗る身振り発作が静止画像になるまでスロー・モーションを拡大して劇化しても、歴然とするのは掏る動作だけである。左のポッケにゃチューインガム、そして右のポッケにあるはずのもの、あるはずの明日を右の二本の指で繰り返し吊り上げてみるが、それはどれもこれも、打ち消された昭和の媒体としてのその後、打ち消された明日を映し出す隠喩的到達・保存としてのその後であるために、上り詰めて来ているものが萎えてしまうのである。もう明日など尋ねない、それがアル中振顫だったのであるが、しかし、その二本の指が蹂躙され、踏み潰されようとして俄然、励起しはじめるのである。俄然、我に返ったのではなく、入れ替わる準備として分身が励起するのである。
「紙屋悦子の青春」(黒木和雄)を総括するのも、この、入れ替わる準備としての分身であり、それが、紙屋悦子に打ち寄せて来る重波(しきなみ)の気配となって出現し、同時に潜伏するものである。


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