Thursday, March 17, 2011

碧痕56 分身の、励起の気配

56 分身の、励起の気配
 1945,9.27 マッカーサーと昭和天皇(マッカーサーから見て左)が並んで撮影された写真がある。想像していたよりも昭和天皇は矮小ではなく、首が長く、人質にされたような顔をしている。マッカーサーの腰から下は上半身と顔の大きさに比して不釣り合いなほどに長大ではあるが、並外れて大男というのでもない。
 昭和天皇は迂闊なほどに丸腰で呼び出しをくらっていて、マッカーサーも厚木基地でタラップを降りる総司令官ではなく、マグネシウムが眩しい、というふうだ。昭和天皇がマッカーサーに従属する、といった分業の歴史的到達・保存に時ならず何か写っていないものの気配がするのは、その歴史的到達・保存の虚構がその気配を消せないでいるのである。
 洪水が及ぶ危機に面して、流された貴種としての昭和天皇(蛭子)と、重波(しきなみ)に乗って幸さわに漂い来るゑびす(恵比須・夷)が入れ替わる、履歴改竄の気配である。それは、並列でもカーストの気配でもない。
 隠れ切支丹にとっては耶蘇教が、先住する霊の、その化の素材に過ぎないように、マッカーサーは流された貴種の、その復活の素材に過ぎなかった。何か写っていないものの気配は、入れ替わる準備としての分身の、励起の気配なのである。
 この写真がどこか如何わしいのは、流された貴種であることの感染が解消してしまっているからのようで、そうではなく、その二次感染の準備の、その励起が感光の如くであるからである。それは、事蹟、遺跡として如何わしいが、人柱と松王健児、松浦佐用媛の伝説の、その感染経路の復活なのである。
 マッカーサーと昭和天皇の(或いは、深川の通り魔の)その装束と仮面は、祭の式の準備としての化粧の如くである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home