碧痕57 1945,9.27の写真、その後
57 1945,9.27 の写真、その後
写真のなかの、昭和天皇の顔面はキリギリスやカマキリを初めて指でつまんだ時のように面白い。燐光の精ではなく、潜んでいた光源に照射されたのであり、それはマッカーサーの方角からのようでもあるが、そうではなく、しかしまた、マッカーサーの方角を通して屈折して来るのである。
マッカーサーの「実験」は、実は、乾燥の危機に面してアメーバーが、散在する個体の数の自乗に膨れ上がって殺到して蛞蝓のような形態で移動するように「本源」と「分」の入れ子状態の収斂に一触にして取り込まれ、その種子を培養する。津々浦々に普及する「デモクラシー」のキッチュは、「人を神に祀る風習」が「十二歳の子供」の姿をして芽を出したものなのである。
「人を神に祀る風習」とは、平の日本人が人柱であることを度忘れの状態でいられる風習であり、平等(「本源」と「分」の複合・零度)の擬態としての平均化(カーストとしての「本源」と「分」の入れ子状態)である。その後の昭和が、打ち消された昭和の隠喩的到達・保存(化)であるのは、津々浦々にあまねき「デモクラシー」のキッチュが、この擬態としての平均化のもう一つの解だからである。
写真のなかの、昭和天皇の顔面はキリギリスやカマキリを初めて指でつまんだ時のように面白い。燐光の精ではなく、潜んでいた光源に照射されたのであり、それはマッカーサーの方角からのようでもあるが、そうではなく、しかしまた、マッカーサーの方角を通して屈折して来るのである。
マッカーサーの「実験」は、実は、乾燥の危機に面してアメーバーが、散在する個体の数の自乗に膨れ上がって殺到して蛞蝓のような形態で移動するように「本源」と「分」の入れ子状態の収斂に一触にして取り込まれ、その種子を培養する。津々浦々に普及する「デモクラシー」のキッチュは、「人を神に祀る風習」が「十二歳の子供」の姿をして芽を出したものなのである。
「人を神に祀る風習」とは、平の日本人が人柱であることを度忘れの状態でいられる風習であり、平等(「本源」と「分」の複合・零度)の擬態としての平均化(カーストとしての「本源」と「分」の入れ子状態)である。その後の昭和が、打ち消された昭和の隠喩的到達・保存(化)であるのは、津々浦々にあまねき「デモクラシー」のキッチュが、この擬態としての平均化のもう一つの解だからである。


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