Monday, April 11, 2011

碧痕62 matter、到達・保存の野心

62 matter、到達・保存の野心
 「長靴を穿いた猫」は、普遍を疑わない歴史的一瞬を、すなわち、鼠の出現を狙い澄まして、飛びかかった。このようにして、普遍を疑う批判も、普遍を疑わない歴史的一瞬を狙う。それは、どんなに普遍を疑っても、歴史的一瞬を代表するエートスに面して疑わない。
 しかし、龍が鼠に化けて出る、その化がその擬態としての模写を解いているのならば批判は追いつかない。「長靴を穿いた猫」の胃袋は鼠(龍)を把捉することも保存も消化もしない。ゴーストがかかって知(支配)が失効しているのである。しかしまた、鼠が鼠や獅子や鸚鵡や蛸の間に法則として出現する龍を代表する歴史的一瞬は、その一瞬が覗いた鼠の、その拡大・劇化に除かれた別の解を悉く(混在ではなく、より小さな魚がより大きな魚の胃袋に順々に呑み込まれているというように)孕んでいて、しかもその順位は入れ替わるのであり、その入れ子状態のために、批判は歴史的一瞬に追いつくたびに胃袋を食い破られてしまう。
 神通の、その擬態、平均化による伝達や、歴史化による伝達の、その法則的、歴史的一瞬にのぞくmatterは、隠れていたものが顕れる効果に包まれた認識の練習であり、到達・保存の野心であり、エートスがかかっている。

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