碧痕75 乖離
75 乖離
死体は極端に公的であり、死は極端に私的であり、死は死体に近接するようでいて実は遠く懸け離れている。それは、まぼろし(測定できない秘密)に属し、死(ぬということ)は、生体が死体に変脱するかの如くであるが、寿命が尽きるのではなく、寿命が解けるのであり、つまり、死に於いては、生体が鎧う法則的、歴史的到達・保存が(直しさと「私」が)解けて公的ではなくなることと乖離するように生体が極端に公的になるのである。この乖離は、生体が鎧う擬態が公的でありながら、それが直しさや「私」であること、そのことが祟り返しているのである。
死体は腐敗して髑髏や灰に変脱するのでもない。死体がそこから履歴を辿り返し得る痕跡であるように、つまり、死体が生体を代表する限りで、死体は静止画像(スロー・モーションの極)のように極端な時間の拡大であり、代表することの収縮が一気に拡張していくような乖離である。この横溢、痙攣は、髑髏や灰のような水準に於いても起こるが、一滴の元素が生体を模写する抽象は、夢というものの受肉とは逆向きになっている。
死体は極端に公的であり、死は極端に私的であり、死は死体に近接するようでいて実は遠く懸け離れている。それは、まぼろし(測定できない秘密)に属し、死(ぬということ)は、生体が死体に変脱するかの如くであるが、寿命が尽きるのではなく、寿命が解けるのであり、つまり、死に於いては、生体が鎧う法則的、歴史的到達・保存が(直しさと「私」が)解けて公的ではなくなることと乖離するように生体が極端に公的になるのである。この乖離は、生体が鎧う擬態が公的でありながら、それが直しさや「私」であること、そのことが祟り返しているのである。
死体は腐敗して髑髏や灰に変脱するのでもない。死体がそこから履歴を辿り返し得る痕跡であるように、つまり、死体が生体を代表する限りで、死体は静止画像(スロー・モーションの極)のように極端な時間の拡大であり、代表することの収縮が一気に拡張していくような乖離である。この横溢、痙攣は、髑髏や灰のような水準に於いても起こるが、一滴の元素が生体を模写する抽象は、夢というものの受肉とは逆向きになっている。


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