Friday, June 10, 2011

碧痕77 天使が通りそうな場所

77 天使が通りそうな場所
 模写発作としての「理想」は、ずれや傷や個の出現、奇形や邪悪を丹念に写し出している場合にさえ、呼び声(霊)としての理想が具体となって化けて出る、その歪み(個の出現や新しさの起源としての不正)を振い落としていて、しかも全体を写し出している。「理想」は何か嘘じみるが、それは、この単純化の精である。
 何か嘘じみた説教が教祖に顕れたために何か嘘じみていることが度忘れの状態でいられるような、何か嘘じみていることの感染保存こそが信者の需要である。
 「つぐみ」(市川準)は、成長することを予期しているのに、そして、その強迫は、日常性に於いて鎧う寿命が解ける(「天使が通る」ような)前兆であるのに、寿命が尽きるのを少しでも遅らせようとする周囲の憐憫と配慮のために損なわれ、屈折している。つぐみは、廃工場で途方もない落とし穴を掘り下げる。それは、予期として上り詰めて来る成長が擬態としてのつぐみを解くつぐみ以上のつぐみの気配、「天使が通る」気配を、発作的に抽象したのである。つぐみは、「成長しない」英雄の子孫なのではなく、寿命が尽きるのを少しでも遅らせようとする限りではただもう疚しいだけの強制を、「落とし穴」として導く。それは、天使の通路なのではなく、「天使が通る」気配の単純化であり、測定も固定もされない化の気配を写し出す。照らし出されない気配、疚しさとなって潜伏する気配の「理想」としての地獄が、もっと安定した陥穽に変脱し、しかも光り出してつぐみに顕れたのである。
 この陥穽は、速やかに寿命が尽きるようには意図されていない(つまり、まるで寿命を引き延ばすことであるかのように成長というものが挿入されている)この世の隠喩ではなく、寿命が尽きるのを少しでも遅らせるために輪郭を保守する、その日常性に潜伏するつぐみ以上のつぐみの気配をなぞろうとすると、その「天使が通る」気配が(疚しさとなって)掻き消えてしまうために、輪郭のまわりをぐるぐる掘って探してしまうというふうなのである。
 廃工場は、日常性の頓挫よりも、その解脱を嗅ぎつけていた場所で、死体のありそうな境目(誰もいないのに目撃されそうな裂目)が受肉している。落とし穴を掘り下げていくうちに、暗騒音が潮騒に変脱し、つぐみの従姉妹が「郷愁」と呼ぶ谺の(しかし異郷感と区別がつかない)増幅に襲ワレテ叫ぶ、その模写発作がそこでは落とし穴に変脱して(つまり、この落とし穴は大きな声なのであり)安らぐというより、脅カサレル。それが、「天使が通る」光と充塞とスリルなのである。

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