Saturday, June 18, 2011

碧痕79 半解脱

79 半解脱
 オスカル(ブリキの太鼓)の予測のつかない運動の、その平均は成長の中断であり、それがオスカル(ブリキの太鼓)の法則であり、それは落下であるが重力に従っているのではない。成長の中断という範疇は鎧っているが、発芽を黒布の下で乾板に感光させようとして宙に浮いてしまうのである。
 「ゆっくりと消えかかる焚き火の煙が、まるで五枚目の大きなスカートのように」僕の(オスカルの)「祖母を包みこんだ。そのために四枚のスカートをはき、溜息を吐き、聖徒の名を唱えている彼女は、コリヤイチェク同様に、スカートの下にいたわけである。制服たちがもはや夕暮れの電信柱のあいだにゆっくりと溺れかかってアップアップしている点にしかすぎなくなったとき初めて、祖母はようやく立ちあがった。まるですっかり根を生やしてしまったのに、ひげ根と土くれとをいっしょに引きずりながら、ちょうど始まったばかりの成長を中断してしまったみたいだった。」
 オスカル(ブリキの太鼓)は、成長の中断の隔世遺伝や、縁起を奏でようとしているのではなく、発芽というものは出来事のように降りかかるものではなく、半ば解脱するのであり、それは、「まるですっかり根を生やしてしまったのに、ひげ根と土くれとをいっしょに引きずりながら、ちょうど始まったばかりの成長を中断してしまったみたい」に半ばゴーストがかかるのである。その精で素直に感光しない発芽を証明するのは証明の責め苦そのものとしてオスカルに発芽したブリキの太鼓であるために、一枚の写真から一気に拡張して一気に収縮する、その痙攣的な虚構の気配が消えずに胸は張り裂けんばかりになる決壊、致命的作用の変脱として(「まるですっかり根を生やしてしまったのに、ひげ根と土くれとをいっしょに引きずりながら」祖母が「ちょうど始まったばかりの成長を中断してしまったみたい」に立ち上がった、その影として)オスカルの叫びは、ブリキの太鼓の危機に面して(乾燥の危機に、アメーバというアメーバが結集、殺到して蛞蝓のようにうねり、のたうって移動する、その、寄り合って一つになる熱伝導が無明を光りの如く貫くのとは違って)ガラスという硝子を破壊し去る、その怒りの超高周波が蒙昧を引き裂くようにして証明せずにはいられないのである。

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