Wednesday, June 22, 2011

碧痕80 やむをえざる叫び、やむをえざる窃視

80 やむをえざる叫び、やむをえざる窃視
 人間性の、その支配の基盤が擬態であるが、その擬態の半解脱の、その系譜の何処かで「ブリキの太鼓」も「超人」も、つまり、「ちょうど始まったばかりの成長の中断」が発芽する。発芽の時は、人間性の、その公的な領域に於いて特定できない。発芽には、起源の移動の気配或いは履歴改竄の気配がかかっているからである。この気配に怯えてオスカルは叫ぶのではない。この気配の証明として、それは、叫びに変脱するのである。
 つまり、「ブリキの太鼓」も「超人」も、公的な領域に足跡を遺すことは、危機である。そこでは、それらはノイズではないにしても、matterにはならない。
 オスカルは不断に中間点を突破する運動であるが、そうした平均化ではなく、単純化としての虚構の気配を消せないために歴史的に到達(・保存)しないエラー状態、この、被造物の気配が消せない不断の履歴改竄が、成長の中断である。平均化して公的な(寿命を鎧った)オスカルとは別に、感光しないオスカルが不断にもう一枚のスカートの下に(寿命を解いて)発芽している。
 第二段階のオスカルに覚醒する「遠隔作用」は、致命的作用の誤作動或いは証明としての、やむをえざる叫びが「遠方、距離、パノラマ」のやむにやまざる誘惑を告白するのであるが、「石炭市場の上空ほぼ三十メートルの所にいたあのとき、市電と終業時間を祝う従業員たちの頭上、甘い香のただようマルクスのがらくた店の上、カフェー・ヴァイツケの冷たい大理石のテーブルと二杯のモカと母とヤン・ブロンスキーの上に聳えていたあのとき、うちのアパート、その中庭、別の中庭、曲った釘とまっすぐな釘、近所の子供とその煉瓦スープを足下に従えていたあのとき」というように、或いはまた「窓の開いているロビーを通り、桟敷のドアの鍵穴を通って、暗い劇場内部にまで特別の叫びを
送りこみ、予約客全員のうぬぼれや、磨かれ、鏡のように光り、光を曲折する切り子面のついた金具もろとも劇場のシャンデリアに声をぶつけるつもりだった。そのとき」というように、報告されているのは、単なる俯瞰、優越、支配の衝動ではない。「そのとき、劇場の前の人ごみの中に銹色の洋服が眼についた。母がモカを楽しみ、ヤン・ブロンスキーに別れて、カフェー・ヴァイツケからもどるところだった」何か秘密じみたものをピアニッシモの効果でとらえる目は単なる望遠以上のものであり、しかも視界はポーランドに届くまでに拡大され(て覗き穴が盗まれ)ている。
 オスカル(ブリキの太鼓)に覚醒したのは、遍在する窃視である。人々は「失われてしまいまだ失われていないポーランド人の国」をライカや羅針儀やレーダーや魔法の杖、また使節やクレジットなどで探すが、オスカルはそのために改めてブリキの太鼓奏者となる。食糧調達のための猛禽類の二重の目が、致命的作用の誤作動或いは証明のためにではなく、物語るために、誰とでも入れ替わる窃視に変わる。

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