Thursday, July 07, 2011

碧痕84 前触れる

84 前触れる
 ブリキの太鼓はヨハネのように前触れる。オスカルが一寸法師イエスにブリキの太鼓を奏でさせようとして奇蹟が起こらないのは、物語ることがヨハネに覚醒すること、そのことを見過ごしているからである。しかも、イエスの到来に先立って、前触れることとしてヨハネは物語る。つまり、それは宣伝なのである。
 オスカルにブリキの太鼓が発芽するように、斬り離されたヨハネの生首がヨハネに発芽する。一寸法師オスカルは一寸法師イエスと一卵性双生児なのではない。ブリキの太鼓はオスカルの生首の如くして、それが奪われようとする時オスカルが叫び声を発するのは、既に本質が剥奪されていることを歌う如くであるが、一寸法師イエスはそのようにして半解脱しているのではない。
 オスカルが破壊と感じているものは、虚構の気配が消せずに被曝する半解脱である。本質の破砕である。つまり、虚構の気配を(大気のように)それと知らずに呼吸して出現する本質は(法則が平均化の効果に過ぎないように)単純化の効果に過ぎなく、ガラスのように脆いのである。

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