碧痕100 蜥蜴の尾の霊
100 蜥蜴の尾の霊
ナチは、亡命や自殺したユダヤ人ではなく、嵐が過ぎ去るのを待つようにユダヤ人狩に忍従するユダヤ人を素材にして「ユダヤ人」(余計なもの)を大量に模造する。この模造にも個は出現するが、その新しさ、突出を削り均して、誰とでも入れ替わり、序数ですらない「ユダヤ人」を消去しようとして、いつまでも満たされない。というのも、それはナチの鏡像だからである。この鏡像が死体に変脱して鏡像でなくなるようにすること、それが「ユダヤ人」に面してのナチの処理であるが、死体に面しては、どう振る舞うか、本能的な拘束も約束もない。凡庸にも穴を掘って埋め、土をかけて地ならしする、そのようにして生き延びる優越は、余計なものを程度として世俗化する。双子の霊の気配が消えるのである。
アフリカの草原に群がって飽くことなく移動するムーの子の、その六頭中五頭までが天敵の餌食になる。一頭のムーの子が生き延びるのに五頭が犠牲になることは、移動するユダヤ民族に当てはまるだろうか。六百万のユダヤ人が迫害を蒙り、犠牲になることは、何人のユダヤ人が生き延びることなのか。生き延びるユダヤ人と犠牲になるユダヤ人の差異は、何か。ここでは、犠牲であることは余計なものであることではなく、器官の延長であり、五頭が生き延びる一頭を代表すると同時に代表しないために、犠牲になる(切り離される)のである。
ナチは、亡命や自殺したユダヤ人ではなく、嵐が過ぎ去るのを待つようにユダヤ人狩に忍従するユダヤ人を素材にして「ユダヤ人」(余計なもの)を大量に模造する。この模造にも個は出現するが、その新しさ、突出を削り均して、誰とでも入れ替わり、序数ですらない「ユダヤ人」を消去しようとして、いつまでも満たされない。というのも、それはナチの鏡像だからである。この鏡像が死体に変脱して鏡像でなくなるようにすること、それが「ユダヤ人」に面してのナチの処理であるが、死体に面しては、どう振る舞うか、本能的な拘束も約束もない。凡庸にも穴を掘って埋め、土をかけて地ならしする、そのようにして生き延びる優越は、余計なものを程度として世俗化する。双子の霊の気配が消えるのである。
アフリカの草原に群がって飽くことなく移動するムーの子の、その六頭中五頭までが天敵の餌食になる。一頭のムーの子が生き延びるのに五頭が犠牲になることは、移動するユダヤ民族に当てはまるだろうか。六百万のユダヤ人が迫害を蒙り、犠牲になることは、何人のユダヤ人が生き延びることなのか。生き延びるユダヤ人と犠牲になるユダヤ人の差異は、何か。ここでは、犠牲であることは余計なものであることではなく、器官の延長であり、五頭が生き延びる一頭を代表すると同時に代表しないために、犠牲になる(切り離される)のである。


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