碧痕101 尾としての生首
101 尾としての生首
国家神道に於いては、器官の延長に過ぎないこと(媒体性)が天皇にこそ顕れ、こうした本源を分が模写することを通して分はどの分とも入れ替わるだけでなく、人口の自乗が殺到することになる。つまり、国家神道は証明できない全体に向かって膨張する一揆の玉砕性を孕むことになる。「天地初発の時は今にあり」、本源はどこにでもある。命令系統は不断に履歴改竄をする。従って、昭和天皇がマッカーサーとの会見で、独り責めを負って生首を差し出そうとしたことは国家神道に違背するのである。一揆の終息のために首謀者が仕立てられるように、津々浦々に散らばった種子を昭和天皇の器官の延長とすることは国家神道の玉砕性を解消する。国家神道は始原を打ち消す。人間の姿を現わした昭和天皇は、実は、始まりの出現なのであり、一揆の生首である首謀者が切り離されても一揆の胴体に繰り返し生首が生え出るように、思ったほど小男ではないが小男には違いない姿を生首として差し出した昭和天皇は、残余の胴体(器官の延長としての種子)に再生する。首実検として曝されたあの写真の昭和天皇は、国体を代表すると同時に代表しない仮の力としての影武者振りなのである。
国家神道に於いては、器官の延長に過ぎないこと(媒体性)が天皇にこそ顕れ、こうした本源を分が模写することを通して分はどの分とも入れ替わるだけでなく、人口の自乗が殺到することになる。つまり、国家神道は証明できない全体に向かって膨張する一揆の玉砕性を孕むことになる。「天地初発の時は今にあり」、本源はどこにでもある。命令系統は不断に履歴改竄をする。従って、昭和天皇がマッカーサーとの会見で、独り責めを負って生首を差し出そうとしたことは国家神道に違背するのである。一揆の終息のために首謀者が仕立てられるように、津々浦々に散らばった種子を昭和天皇の器官の延長とすることは国家神道の玉砕性を解消する。国家神道は始原を打ち消す。人間の姿を現わした昭和天皇は、実は、始まりの出現なのであり、一揆の生首である首謀者が切り離されても一揆の胴体に繰り返し生首が生え出るように、思ったほど小男ではないが小男には違いない姿を生首として差し出した昭和天皇は、残余の胴体(器官の延長としての種子)に再生する。首実検として曝されたあの写真の昭和天皇は、国体を代表すると同時に代表しない仮の力としての影武者振りなのである。


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