碧痕106 闇の責め、一滴の露
106 闇の責め、一滴の露
道成寺の、明治を素材にした一つの解が「雁」(鴎外)である。その互角の誘惑、互角の追跡・遁走は、次のように展開する。待ち伏せ(て追跡す)る女は不意に鳥籠の小鳥を狙う蛇を放って(誘惑し)、通りかかる男は(誘惑される寸前で)不覚に酒屋の小僧を放って蛇退治を任せ(逃れ)る。通りまで出て(追跡する)女が待っていると、しかし男には連れがあり、なおも通りで男が戻って来るのを女は待っているが、戻って来た男たちのマントの下には不忍池で捕えた禁猟の雁が巡邏の眼から隠されていて、巡邏から逃れることが図らずも女(の追跡と誘惑)を躱すことになっている。道成寺の異本の一つで、蛇体を顕わした女の瞋恚の炎に抱き竦められて、鐘の中に隠れた若い修行僧が一滴の露に化り果てる衝撃に照応しているのは、留学のために渡欧してしまう男を代表して、鯖の味噌煮と同様に男の誘惑や遁走の滑稽な口実に使われている食材としての雁を、女の無量の残り惜しさと瞋恚の炎が焼き尽くして、渡る「雁」が音の余韻が曳くことである。
しかし、この無量の残り惜しさの余韻は、勿体ないというような何か手に余って零れ落ちた思いに微妙に顔つきを変え、その後の女のかけらを追跡調査してしまう。後の鴎外の、「澁江抽斎」の没後にも周辺に追跡調査が及んでいく伝記の、あの、何事もなかったかのような、日常が平らかに修復されている、しかし傷痕も残らないというのではない、ささやかな波立ちを辿るのである。
道成寺の、明治を素材にした一つの解が「雁」(鴎外)である。その互角の誘惑、互角の追跡・遁走は、次のように展開する。待ち伏せ(て追跡す)る女は不意に鳥籠の小鳥を狙う蛇を放って(誘惑し)、通りかかる男は(誘惑される寸前で)不覚に酒屋の小僧を放って蛇退治を任せ(逃れ)る。通りまで出て(追跡する)女が待っていると、しかし男には連れがあり、なおも通りで男が戻って来るのを女は待っているが、戻って来た男たちのマントの下には不忍池で捕えた禁猟の雁が巡邏の眼から隠されていて、巡邏から逃れることが図らずも女(の追跡と誘惑)を躱すことになっている。道成寺の異本の一つで、蛇体を顕わした女の瞋恚の炎に抱き竦められて、鐘の中に隠れた若い修行僧が一滴の露に化り果てる衝撃に照応しているのは、留学のために渡欧してしまう男を代表して、鯖の味噌煮と同様に男の誘惑や遁走の滑稽な口実に使われている食材としての雁を、女の無量の残り惜しさと瞋恚の炎が焼き尽くして、渡る「雁」が音の余韻が曳くことである。
しかし、この無量の残り惜しさの余韻は、勿体ないというような何か手に余って零れ落ちた思いに微妙に顔つきを変え、その後の女のかけらを追跡調査してしまう。後の鴎外の、「澁江抽斎」の没後にも周辺に追跡調査が及んでいく伝記の、あの、何事もなかったかのような、日常が平らかに修復されている、しかし傷痕も残らないというのではない、ささやかな波立ちを辿るのである。


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