碧痕109 頓挫、覚醒、大あくび
109 頓挫、覚醒、大あくび
中世は固定的で分業はすすんでいないにしても、不断に日常性が脅かされ、法則が頓挫し、歴史が頓挫して、何か惜しいのか、何も惜しくはないのか、神経衰弱と履歴改竄の間に揺らいでいる。
この揺らぎこそは中世の魅惑でもある。基督暦千年を経過しても続いてしまっていたこの世は何なのか。千年で終末であるとして、その仮のもののこの世は本当にこの世なのか。凍結することを忘れたとでもいうような過冷却の池が実は人知れず凍結の気を練っていたとでもいうように落葉一枚の衝撃で一気に凍結して渡るように、いつでも全貌を顕わそうと力を溜めていたとでもいうように俄然地獄のヴォリュームが迫り上がってあてどとしてのこの世が打ち上げられ、しかしそれは水中から陸上へというように別の媒質に放り出されたのではなく媒質であることの頓挫であり、あてど(では)なくなるのであり、どこでもないことが覚醒する。
終末を約束する基督暦千年とは、この覚醒であり、この覚醒に面しての模写発作、驚き、懐疑、惚恍、戦慄、笑い、あくびといった痙攣の渾然とした生体反応が、panic である。この覚醒は、猛然と膨張して遠去る宇宙、といった恐喝にやがては(もう一つのミレニアムに於いては)相貌を変える。
どこでもないことの覚醒(おどろき)に面して、その底なしと底なしが眠り込むのを二重に模写する発作、すなわち大あくびが中世を覆いかけている。それは、流動的で分業が進み徹底して器官を延長する世に覆いかける大あくびを孕んでいて、もう一つの解としての別の宇宙を地獄のヴォリュームとするこの宇宙にこの世が履歴改竄することは、ステンドグラスを通してこの世に天空の光を降ろそうとするゴシック・カテドラルの如くに器官を延長するのである。
中世は固定的で分業はすすんでいないにしても、不断に日常性が脅かされ、法則が頓挫し、歴史が頓挫して、何か惜しいのか、何も惜しくはないのか、神経衰弱と履歴改竄の間に揺らいでいる。
この揺らぎこそは中世の魅惑でもある。基督暦千年を経過しても続いてしまっていたこの世は何なのか。千年で終末であるとして、その仮のもののこの世は本当にこの世なのか。凍結することを忘れたとでもいうような過冷却の池が実は人知れず凍結の気を練っていたとでもいうように落葉一枚の衝撃で一気に凍結して渡るように、いつでも全貌を顕わそうと力を溜めていたとでもいうように俄然地獄のヴォリュームが迫り上がってあてどとしてのこの世が打ち上げられ、しかしそれは水中から陸上へというように別の媒質に放り出されたのではなく媒質であることの頓挫であり、あてど(では)なくなるのであり、どこでもないことが覚醒する。
終末を約束する基督暦千年とは、この覚醒であり、この覚醒に面しての模写発作、驚き、懐疑、惚恍、戦慄、笑い、あくびといった痙攣の渾然とした生体反応が、panic である。この覚醒は、猛然と膨張して遠去る宇宙、といった恐喝にやがては(もう一つのミレニアムに於いては)相貌を変える。
どこでもないことの覚醒(おどろき)に面して、その底なしと底なしが眠り込むのを二重に模写する発作、すなわち大あくびが中世を覆いかけている。それは、流動的で分業が進み徹底して器官を延長する世に覆いかける大あくびを孕んでいて、もう一つの解としての別の宇宙を地獄のヴォリュームとするこの宇宙にこの世が履歴改竄することは、ステンドグラスを通してこの世に天空の光を降ろそうとするゴシック・カテドラルの如くに器官を延長するのである。


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