碧痕91 蝉脱への前奏
つまり、「ポーランド人の国」の微細な光景として、放火犯に身を窶した雷神の拉致(rape)・密通の神話をオスカルの太鼓は叩き出そうとしているのであるが、一部に反転があって、放火犯の方がずうっと小さく、アンナの四枚重ねのスカートの中はドイツの戦線の大きさに膨れ上がる。雷神が身を窶した牛は乳製品の饐えた匂いになってスカートの中でエウロペを代表し、しかもそれは、放火犯の侵入の痕跡でもある。
この混乱は、有性生殖の半解脱である。オスカルの母の告解聴聞は「ポーランド人の国」の微細な光景を密通として抽象、世俗化したが、オスカルの隠喩の衝動は、一寸法師に身を窶した侵入とエウロペ(Europe)の三分身アンナ、母、マリーアの失踪(オスカルの行方不明を浮かび上がらせる地としての失踪)から、発芽を示現する。
有性生殖の半解脱は、歴史を打ち消す。発芽は有性生殖のエラー状態であり、半抽象なのである。「右町、古町、胡椒町、前町、若町、新町、下町など、七百年以上をかけて築きあげてきた全市が、三日間で焼失した。もっとも、これがダンツィヒ市の最初の火災というわけではなかった。ポメレン人、ブランデンブルグ人、騎士団の騎士、ポーランド人、スウェーデン人、もう一度スウェーデン人、フランス人、プロイセン人、ロシア人、それにザクセン人までが、すでにこれまで歴史を作りながら、二、三十年ごとにこの都市を焼却するに値するものと感じた――そして、今度は、ロシア人、ポーランド人、ドイツ人、イギリス人が共同して、ゴシック建築の煉瓦を百度目に炎上させたのである・・・ベーカー小路、ラング小路、ブライト小路、大小のヴォルヴェーバー小路が焼けた。トビーアス小路、フンデ小路、古町通り、新町通り、前町通り、塁壁が焼け、長橋が焼けた。クラーン門・・・ズボン屋小路・・・マリア教会・・・聖カタリーナ、聖ヨハネ、聖ブリギッチ、バルバラ、エリーザベト、ペテロとパウロ、聖三位一体、聖骸などの教会・・・大製粉所・・・肉屋小路・・・市立劇場・・・聖霊小路・・・フランシスコ修道院・・・婦人小路・・・材木市場と石炭市場と乾草市場・・・パン棚小路・・・ミルク罐小路・・・」こうした、ブリキの太鼓が演奏する侵入と炎上の列挙は、一揆の如く殺到する。
しかし、危機に面して、つまり、不意に有性生殖のエラー状態(発芽)から自由と孤独に蝉脱して脅かされていることに面して、成長の中断ではなく、裏切り(見かけの、成長の中断)を以て繰り返し凌いで生き延び二人の父を葬ることになったオスカルの隠喩の衝動は、裏切りを、94センチの幼虫からせむし(瘤や水頭症のように大きな頭に履歴改竄を封じ込めた佝僂)が蝉脱することを以て示現する。オスカルが叩き出すダンツィヒ市史は、生き延びるために半解脱するのではなく、蝉脱する、この苦痛への前奏である。「まっさきにきたのはルギ人だった、それからゴート人とゲピト人がきて、その後に、オスカルの直接の祖先に当たるカシュバイ人がきた。それから間もなくして、ポーランド人たちがアーダルベルト・フォン・プラークを差しむけてきた。この男は、十字架を持ってやってきたが、カシュバイ人かプルッツ人に斧でもって打ち殺された。この事件は一漁村で起こり、その村はギダニヅツという名だった。ギダニヅツがダンチクとなり、ダンチクがダンツィヒ(Dantzig )となり、これを後にDanzigと書くようになり、そして今日では、ダンツィヒはグダニスクと呼ばれている。
しかし、こういう綴りになる以前、カシュバイ人につづいて、ポメレレンの領主たちがギダニヅツへやってきた。彼らの名前は、スビスラウス、サンボール、メストヴイン、スヴァントポルクなどであった。村から町が生まれた。それから、乱暴なプルッツ人がやってきて・・・それから今度は、ブランデンブルク人・・・ポーランド人のボレスワフ・・・騎士団・・・その後数世紀のあいだ、ポメレレンの領主、騎士団長たち、ポーランドの諸王と対立諸王、ブランデンブルク伯爵、ヴォツアヴェクの司教などが交替を繰り返した。建築請負人と家屋取壊し請負人の名前はオットーとヴァルデマール、ボグッサ、ハインリヒ・フォン・プロッケ――それにディートリヒ・フォン・アルテンベルクで、この人が騎士の城を建てた場所は後にヘヴェリウス広場となり、二十世紀にポーランド郵便局防衛戦の舞台となったのである。
フスの信奉者たちがやってきて、ここかしこに火をはなってまた引きあげた・・・次にはポーランド領になった・・・王はカジーミェシュという名で・・・それから、ルードヴィグがきて、ルードヴィグの後には、娘のヤドヴィーガがきた。彼女はリトアニアのヤギェウォと結婚した。そして、ヤギェウォ王朝の時代が始まった・・・」このようにして、いや継ぎ継ぎに有性生殖は続き、スウェーデンが何度もダンツィヒを包囲し、列強は三度もポーランドを分割し、プロイセン人やロシア人がやってきて、またロシア人がやってきて、その後にはプロイセン人でもスウェーデン人でもザクセン人でもフランス人でもなく、ポーランド人がヴィルナ、ビヤウィストク、レムベルクからやってきて住む家を探した。
オスカルのところへは、ファインゴルトと名のる紳士がたった一人でやって来たがしかも大勢の家族、ルーバ、レフ、ヤクブ、ベレク、レフ、メンデル、ツォンヤを引き連れていて、その大勢の家族の死体にトレブリンカ収容所の消毒剤係としてリゾール液をかけるために死体になるのを免れたファインゴルトだけが(有性生殖のエラー状態を蝉脱して)やって来たのである。こうして、生き延びるためにせむしが蝉脱する、その苦痛への前奏としてのダンツィヒ市史は、リゾール液と家族の死体を満たした大きな瘤の到来を(しかも94センチの幼虫からせむしが蝉脱する前触れとして)目撃するに至る。

