碧痕110 Panicの実体、Erosの野心
ハリウッドの映画製作は、ジャンルを金型にして大量生産とまでは言わぬまでも色違いのシリーズにする。パニック映画では、
1 「裏窓」(A.Hitchcock )から覗かれるアパートのように隣り合わせながらも山岳を隔てるが如きいくつかの日常が窃視され、それが合流地点で船のように乗り合わせることになる。
2 その合流地点に於いて、常はそれと知らず使いこなされている内臓や空気や大地のようなものが剥き出しになり脅かし迫る。日常性の崩壊。しかし、どこでもないことの覚醒や被曝は感光しないので、towering infernoのようにして、何よりも身近で何よりも疎々しいもの、従って逃れようのない地獄のヴォリュームが質料化して臨在、薄気味悪く迫ることになる。
3 序列の崩壊。単なる逆転ではなく、居合わせた誰もが全体を代表するために、居合わせた人の自乗の数が殺到することになる。
4 何事もなかったかのように、日常性が曙光のように戻ろうとする。
殺到と阿鼻叫喚が前駆症状に過ぎないパニックの実体は、被造物であること、従って、パニック映画を製作する衝動は、荘厳を色違いのシリーズで到達・保存しようとする野心、大仏やストーン・ヘンジやゴシック・カテドラル建立を投射的に次元変換しようとする野心である。

