Monday, October 31, 2011

碧痕120 thril・mystery

120 thril・mystery
 関心、興味は、具体として一つの解が顕れるのを漠として予期している問題で、その衝動が即興的に満たされた具体は飽くまでも間に合わせであるがどうでもいいのではない。「運命の人」とは、そうした決断である。
 漠とした謎(責め)を解く攻め方が内向的であれば、謎解きは跫音に追い詰められるスリラーに、外向的であれば犯人を追い詰めるミステリに分岐する。
 モルヒネで多くの関心、暗示、衝動が麻痺するなかで、突出して覚醒する幻覚(即興的、隠喩的にして極端に私的な具体)は、「運命の人」のようなもので、催眠術にかかっているかのように(祖父の写真を見るように暗示をかけられていると小さな黒点さえも祖父の写真になってしまうように)どうでもいいのではない。
 尼僧の秘密は、告解を通して諸々の秘密が衣裳のように剥奪され、自由になるのではなく、呼び出されなければ成らないロボット(催眠)状態にあることである。秘密を手放すことは放心なのである。これは、程度や分業としての受身なのではなく、意志を盗まれた熱狂を孕んでいる。教導僧の姿を借りて尼僧院に顕れたユピテルが、完璧に気配を消す限りではその誘拐も姦通も覆い隠されるが、気配を消せない虚栄の、その失調に於いては、教導僧はたかが間に合わせに過ぎないのに決してどうでもいいのではない「運命の人」として刷り込まれてしまい、その効果に尼僧たちは眩惑し、夢中になる。 これは、尼僧院の真上に空飛ぶ円盤がのしかかり、尼僧が吸い上げられ、生体実験にかけられて妊娠し、或いは脳に発信機を埋め込まれて思考が筒抜けになったり誰かが尼僧の頭を通して思考する、といった症状の方解・反復である。

Saturday, October 29, 2011

碧痕119 症状の転生

119 症状の転生
 その映画は、「species 」と題せられている。それは、matterとはならない。ヒト(のDNA )と地球外知的生物(のDNA )との交雑種というよりは、このETのDNA はもっと獰猛にヒトを素材にしてヒトに化けるが単性生殖ではなく、ヒトの壮健な異性を生殖のためにだけ探す。
 その衝動が満たされずに(疼いて)魘される悪夢は、「私は誰なのか、何のためにここにいるのか」というふうに翻訳される。この覚醒の前駆症状は、「私」というものが自明ではないが、それは、漠とした目的・意味の媒体であることから脱け出そうとして実はそこへ脱け出そうとしている宙吊り状態である。これは、何処かで、ロボットが魘される悪夢に転生し得る。
 こうした転生は、個体発生的な葛藤がその隠喩的な症状を変えて新生する、そうした方解・反復である。

Wednesday, October 26, 2011

碧痕118 「寛す技術」

118 「寛す技術」
 中世を覆う懐疑は、悪魔の気配が消せない失調であるが、その気配の消えた日常の、その制圧が鎧う真偽、虚実の峻別こそは悪魔的なものの、その擬態の効果であるのだから、真偽、虚実が曖昧になり反語的になるのは、悪魔的なものの虚栄である。何か寛大にも悪魔の気配を許容するこの失調(虚栄)は、悪魔的なものこそが鎧われた厳格と気配を消していることに疲れ、倦怠して痙攣している、というかのようだ。
 懐疑の発作は、「寛す技術」(J.Michelet)として模写され、文学と神秘学に分極する。文学は、この寛容を自由と混同し、神秘学では、環境としての神の気配に人格も意志もそのままに取り消され、いかなる悪も罪もそのままに打ち消されてしまい、悪魔の気配と神の気配と区別がつかなくなる。
 古くは占星術、遥か下っては横溝や清張の犯人探しも、この「寛す技術」の水脈のどこかで派生している。そこでは、犯人はもの凄い身体スピードで(まるで何かが犯人を追い越していくように)殺害に至るというふうだ。

Saturday, October 22, 2011

碧痕117 戦闘少女

117 戦闘少女
 戦闘少女が鎧う甲冑は、外部の脅威に対する防衛ではなく、抱え込んでいる葛藤が洩れ出さないようにするためのものである。甲冑は、葛藤があたかも外部の脅威との戦いであるかのように見せかける。少女の武器が超能力の場合、超能力は甲冑でもあるが、しばしば超能力を隠し、普通であることを隠蓑にしようと恥じる。つまり、罰としての抜擢、といった範疇に属することになる。
 ジャンヌ・ダルクが鎧う甲冑は、お告げである。葛藤を鎮めるために同毒療法を以てするのは、「魔女」的であるが、ヴィーナスの棘が刺さっているのではなく、マリア的であるが、むしろパラス・アテナの鉾と甲冑の媒体である。しかし、甲冑は鱗の金属化であり、実はヴィーナスの棘の擬装なのである。

Thursday, October 20, 2011

碧痕116 色違いの身体

116 色違いの身体
 「魔女」狩りの熱狂は、蒐集の熱狂であり、どの「魔女」も他の「魔女」と入れ替わることなく、それは、誰とでも入れ替わる眩惑なのではなく、それは、単純化の頓挫ではなく、平均化の頓挫、個々の「魔女」の身体と「魔女」の身体の間に「魔女」が出現しては逃れ去る眩惑である。この眩惑に、白状によるものであれ密告によるものであれ、隠れていたものが顕れる効果がかかる。更には、ひいふうみいと数え上げる収穫の喜びが加わるが、ここに至っては、花咲く「魔女」たちは、密告や拷問、裁判の手続きを通して異端の範疇を以て制圧され現実となるのではなく、強制収容所の「ユダヤ人」が正面と側面の顔写真と番号の入れ墨を通して展翅され、標本化したように標本と標本の間に出現する。叩き出そうと打擲しても頑固にひそむものや、火あぶりにしても嘲笑的に抜け出して別の身体に潜り込むやもしれないもの、いつも誰の顔でも舌でも誰かの顔、舌を借りて顕れて来る仮のもの、防禦し難く遁げようもなく、逃げる方に伏せているもの、そのようにして法則的現実でもなく感光もしない「二重の存在」の露頭の、その隠喩として「魔女」の色違いの身体をきりもなく製造あるいは捕獲するのである。

Sunday, October 16, 2011

碧痕115 症状としての「魔女」

115 症状としての「魔女」
 葛藤は素材を見つけて来ては症状の相貌を変え、一旦葛藤の秘密があばかれ、解されても別の症状となって更新される。
 葛藤がなければ話は展開しない。ありふれた葛藤は三角関係であるが、それは、媒体性の、その二重性の分割、ゴーストがかかる媒体のもう一つの解としての分身である。二つの解には互いに余計なものに似ようとする双子の霊がかかっている。排除の運動と乗り移って来る気配、すなわち入れ替わる気配に話は駆り立てられることになる。
 物語を駆り立てる力は生贄であることへ向かうが、その二つの変奏では、一つは神経衰弱ヘ、もう一つは履歴改竄へ向かう。
 マリアの独占ではないことに面して、「魔女」は、同毒療法として物語るのではなく、毒薬の処方、毒草に認識されることを以てする。症状としての「魔女」は、罰としての抜擢に属する。認識されたと感じることがそのまま打ち消されるように呼び出しをくらうのである。

Tuesday, October 11, 2011

碧痕114 前駆症状としての「魔女」

114 前駆症状としての「魔女」
 擬態の気配が消えている限りで擬態であることは、悪魔にも当てはまる。悪魔の足跡や気配が消えている限りで悪魔は支配的であり、その気配が洩れている悪魔がかりこそは法則も歴史も頓挫して懐疑的で、何もかもがみせかけで何もかもが実は逆さまのもので、何もかもが化かされている。しかし、このエラー状態こそは悪魔的なものが解けてゴーストがかかっているのである。つまり、悪魔的なものが完璧に隠れている日常こそは悪魔の棲処であり、悪魔が干渉していると感じられる悪魔がかりの大気は、大洪水が魚類の棲むための媒質ではないように、悪魔そのものも自明ではなくして、悪魔が棲むための媒質ではない。
 農奴の女たちを素材にして「魔女」を製造した中世は、ガリレオ、デカルト、フロイトを貫く懐疑の水脈の前駆症状のようなもので、この世が宙に浮いたために棲処を剥奪された悪魔は何かに潜り込まずにはいられない、それが「魔女」であるが、その足跡や気配は消せないのに拷問や火焙りで駆逐されも滅ぼされもしない。「魔女」は悪魔がかりであるが悪魔の棲処ではないからである。この前駆症状の後で悪魔が潜り込んだのは、一つは、懐疑の水脈の理論で、それは悪循環や無限の後退に嵌まり込み、もう一つは、秘密を暴き出されて解されても、色違いの症状の果てしもないシリーズとなって更新する葛藤である。

Saturday, October 08, 2011

碧痕113 咄嗟の決意

113 咄嗟の決意
 「都市の古い声、ベフルワの鐘の声はその塔から降りる(13世紀)。町は沈黙におちいり、鐘がなお鳴っているとしても・・・この鐘は何を言っているか。子らよ、賎しくあれ、服従せよ、眠れ!この重苦しい単調さに押しひしがれて、人間の魂はいつも同じ音色に耳がつんぼになり、倦怠で茫然となり、あくびをする。」(J.Michelet)
 沈黙と停滞と単調、日々の鐘声が強制する標準と反復は、しばしば退屈、倦怠と結びつけられるが、あきあきする同じ音色に耳がつんぼになるとしても、それは、脳が酸素不足どころか少量の酸素しか含まない血流でも安定した聴取に十分なのである。あくびをするのは、処理しきれない複雑な事態に面している。その二重の模写発作は、ベフルワの鐘の声が塔から降りる間に13世紀が揮発してしまっていて唖然たる思いだが、それは気のせいだとか見なかったことにしようとか誰にも言うなとか誰も見ていないとか咄嗟に決意しているかのようだ。

Wednesday, October 05, 2011

碧痕112 何の媒体なのか

112 何の媒体なのか
 水棲の、両棲の、爬虫の、或いは飛鳥走獣の、この地上に出現した動物の造形を貫く、その精髄が龍であるように、「魔女」を造形する養分は女たちの秘密であり、女たちの秘密を貫く精髄が「魔女」である。「魔女」がふくれあがっている第三の秘密は、告解聴聞僧のように女たちの告白する苦痛の秘密を知ったあとで誰かに話してみたいが誰にも漏らすわけにはいかないと下唇を舐めつつ腹腔に抱え込んだ数え切れない秘密に中毒するからであるが、女たちの苦痛を鎮めるために秘密を覗き毒草を煎じ催眠術をかけるように振りかざす手つきは、鎮痛のために秘密を暴き出すフロイト博士の身振りの如くである。
 「魔女」はまた、癲癇、癩病、ペスト、梅毒、夢遊病、舞踏病、飢餓、そうしたおぞましいものの媒体としての人体が無我であるようにして、無我の人体の媒体である。女たちがうらない好きなのは、何の媒体なのかを恐る恐る知りたいのであり、それは、何を孕むことになるのかを知ることの屈折や迂回である。それが恐る恐るであるのは、何か自明ではなくなる気配がするのであり、マリアの独占ではない気配がするのであるが、対立しないことを危惧するかのように暗黒である。

Sunday, October 02, 2011

碧痕111 模写の頓挫、転移の衝撃

111 模写の頓挫、転移の衝撃
 或る音楽が、或る広告が、その音曲が巷に流れ、そのポスターが壁に破れかけていた時代を(証明できない全体を)一気に呼び戻して胸が張り裂けんばかりに拡張し、胸が潰れんばかりに一気に収縮する、その抽象のエラー状態、しかも遠くして近い長目の効果に包まれ、こんなにも公的なのにそのことが確かに居合わせていたことを何も証明しないどころか実は極端に私的なために反撃を蒙って感光しない、そのことに面しての、戦慄、華厳、ピンぼけ、或いは、脳髄から胃袋、顎を貫く大あくび、何かが食虫植物のようにあぎとをひらきっ放しで、時代を目撃することと消化されてしまうことと区別がつかない。
 戦地から丸縁の眼鏡と軍靴になって帰還する、或いは幾年月共に暮らしてきた犬が毛皮になって届けられる、こうした場合も、模写は頓挫して胸は決壊するが、丸縁眼鏡と軍靴を撮影した写真が薄気味悪く迫るのはどうしたことだろう。それは、虚構の気配が消せない提喩の頓挫ではなく、転移の衝撃、感光するはずのないmetamorphosis が感光してしまっているかのような衝撃である。ゴーストがかかっているのは写真であるが、被写体に転移するのである。