碧痕153 はろばろ転移する善
153 はろばろ転移する善
何故、個別化すると同時に一般化する媒体は(媒体であることが秘密になって媒体であることの禁止として気配づくmoral の、その埋め合わせのように出現する媒体は)善として蒐索されるのか。
部分が全体を代表するような抽象、例えば思い出は善だろうか。映像はどうか。写本は、学問は。
これら遺物も本当の持主の接近に感応して宝になるが、その光の実体は、時間を節約すると同時に犠牲にする二重性である。この二重性は、海の幸山の幸からは遠く屈折、転移した幸福ではあるが、倒錯して優越することもある。
今まで見たこともなかったシリーズの一つを、現物を、現物を抱き竦めるアウラを思いがけず目の前にしたコレクターが、不覚にも涎を垂らしてしまうことは、決して比喩でも誇張でもない。
言葉の蒐索も、どんな形態をとるのであれ、器官の延長としての貨幣が垂涎ものになるようにパブロフ的に屈折して遥か転移した善の蒐索である。たあいもないおしゃべりもうわさも器官の延長としての言葉の蒐索であり、咀嚼に先立って涎を出す、反射や命令すると同時に服従する本能の分割(器官の延長としての分業)のように、必須アミノ酸の獲得からはろばろ転移、変形している。言葉の蒐索形態は、どのように唾液が分泌したかの瘢痕である。
何故、個別化すると同時に一般化する媒体は(媒体であることが秘密になって媒体であることの禁止として気配づくmoral の、その埋め合わせのように出現する媒体は)善として蒐索されるのか。
部分が全体を代表するような抽象、例えば思い出は善だろうか。映像はどうか。写本は、学問は。
これら遺物も本当の持主の接近に感応して宝になるが、その光の実体は、時間を節約すると同時に犠牲にする二重性である。この二重性は、海の幸山の幸からは遠く屈折、転移した幸福ではあるが、倒錯して優越することもある。
今まで見たこともなかったシリーズの一つを、現物を、現物を抱き竦めるアウラを思いがけず目の前にしたコレクターが、不覚にも涎を垂らしてしまうことは、決して比喩でも誇張でもない。
言葉の蒐索も、どんな形態をとるのであれ、器官の延長としての貨幣が垂涎ものになるようにパブロフ的に屈折して遥か転移した善の蒐索である。たあいもないおしゃべりもうわさも器官の延長としての言葉の蒐索であり、咀嚼に先立って涎を出す、反射や命令すると同時に服従する本能の分割(器官の延長としての分業)のように、必須アミノ酸の獲得からはろばろ転移、変形している。言葉の蒐索形態は、どのように唾液が分泌したかの瘢痕である。


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