Sunday, March 11, 2012

碧痕163 伝道的

163 伝道的
 「南回帰線」(H.Miller)それは、すなわちゴットリープ・レーベレヒト・ミューラーの道は、生きられる道ではない。フリークの道であり、絶えず歩いてどんなに奥深く分け入っても一歩も先へ進んでいない、いつでも地の果てに(別の惑星の大気に)出てしまうからである。その極端な(痙攣じみた)彷徨は不動の硬直や蝋屈と変わらない。辛うじてM氏が(頭を掻くように)報告しようと藻掻くことで細々と道が続くのであるが、足を踏み出してみなければ道があるかどうかも分からない。ホーボーケンの町やベイヨンの町では住民が新聞を読むにせよ買物をするにせよ会話するにせよ何も変わりはしないのに何か違う(何か決定的に被曝している)のであり、M氏が別の姿をして上がっていく「不滅の階段の一部」は実は「新世界」の描写なのであるが、しかしそれは、ホーボーケンやベイヨンの町のことなどではなく、地の果てが唐突に迫り上がって来たノース・カロライナの橋からの峡谷の眺望を「地の果て」として報告するのも、誇張でも類比でもない。それは「新世界」に被曝することの報告であって、「地の果て」はホーボーケンやベイヨンの日常にも南部の奥深くにも「不滅の階段の一部」にもヤーウェの気配のように迫り上がるのである。
 「地の果て」から身を隠していたいのに隠れない、その狼狽の効果からの報告は大目玉をあいたままに身を曝していて、そのために自伝的と分類されるのならば、「南回帰線」上の「新世界」は孤絶して道は続いていないのである。しかし、釈迦牟尼仏が歴史的到達・保存ではないが摩訶迦葉仏に於いて悟るように、ゴットリープ・レーベレヒト・ミューラー氏は伝道的なのである。例えばハリウッドで繰り返しsnatcherが変形して回帰するparaphraseは、ゴットリープ・レーベレヒト・M氏が「不滅の階段の一部」を上がっていくのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home