Wednesday, April 25, 2012

碧痕178 地面を探して足掻く

178  地面を探して足掻く
 ハッピーエンドには見えない「Chinatown」(R.Polanski)
 1930年代のロスの闇に辿り着く私立探偵が、探索の末に目撃した生贄は、Rosemary's baby であるが、覗き込む大きな顔の気配に赤ちゃん(怪物)がかく大あくびにギョッとする、というのではなく、この怪物はあっさりこの世の姿を曝してしまう。
 この世の姿を現わすために怪物というものは、分割され家系図の上で整理される。夫の密通の片割れは妻の妹にして娘、つまり、妻の父の娘にして孫である。複雑ではあるが整頓されている。父娘姦は姦通に属し、姦通は最古のスピリットであり、女たちは、一度もこの世の姿を現わさない女(太牝)の、面白いほどの分身である。娘は父とは密通していないが義父(義兄)とは密通するのであり、妻の視座から見ればその娘が夫とつるんだことは繰り返されていて、それがまだ娘の父(祖父)ではないことにほっとしているが、ギョッとすることを恐れながら殺害される。父に父娘姦の渇きがもうないとはいえない。砂漠を基底とするLos Angeles の土地の渇きは不滅で父の姿をして現れ、娘の姿をして現れるのは乏しい水である。こうした反転は、変身(拉致・凌辱)が牛や黄金の雨ではなく、砂漠であるからである。この砂漠を通りかかるものなら誰でもいいのではなく、豊富とはいえない娘に限られる。
 夫の不倫調査を正式に依頼したのはその妻のにせものであるが、このことが暗示するのは、生贄というものは真偽、正邪など気にかからず、真偽、正邪を気にする探索というものは座礁するということである。私立探偵は探査の果てに、怪物のこの世の姿に面して、しかも怪物が擦り抜ける如くに生き延びたかのように見える気配に面して、ハッピーエンドには思えないことは緋文字のようなもので、怪物がこの世の姿を現わしたことの分かり易い(説得され易い)しるしに過ぎない。
 ハッピーエンドには見えないこと、それは、moral に反することに面してではなく、moral の失効に面して、頭を掻くように足掻くのである。

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