Monday, May 28, 2012

碧痕189 真空保存

189 真空保存
 白い霧がかかった数寄屋橋を催眠術にかかっているように黙々と行き交う人々、約束の11月24日(「君の名は」)
 夢をおそれる、恰もわざとではないかのように繰り返し機会を逃す症状、これは、いよいよ狭まっていく「狭き門」とは何か違う。難産であるかに見えて実は難産に留まることを知らず知らず願うというのでもない。空襲の夜に一緒に炎のただ中を逃げ回った後で半年後もし生き延びていたら同じ日にまたここで、という数寄屋橋の上での再会の約束は、遠くして近い長目の効果に包まれていた方が失うものはない。しかし何か失うことを恐れているのではなく、その橋上の約束そのもので力尽きている、つまり、その約束をするために導かれていたのであり、その約束をすることが生きる意味だったのである。そのために、約束の後の再会やそのための選択、決断、展開は彷徨わざるをえない。もう終わっているのである。それからの紆余曲折は、橋上の約束を真空保存する瘢痕として魘され続ける。
 絶頂の後の、それからが、どうにももどかしい足掻きであるのは、再会して何をするのか、それが分からないからである。終わったところから尚もたどたどしく蹌踉めきながら、それからの意味を手探る。まるで意味を手探ることが、それからの意味だとでもいうようだ。
 しかしそうではなく、紆余曲折すればするほど、それは逆流して、橋上の約束を純粋にし霊的にする。それは、紆余曲折(症状)の悪い因縁なのではなく、すれ違い続ける紆余曲折が橋上の約束を真空保存(提喩的に模写)するのである。
 橋上の約束も何かの真空保存、別の真空保存(化)であるために、記憶喪失のようなもの深い霧が大気を組成し、記憶喪失のかかった橋上の約束を浮かび上がらせるために橋上を催眠術にかかっているかのように黙々と行き交う人々に何もかも筒抜けで隠れなく、それは、霧のようにもの深い雑踏が地として橋上の約束を換喩的に模写しているからである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home