碧痕194 鏡像の痙攣
194 鏡像の痙攣
「私」というもののモラルは器官の延長であることや二重性の禁止であるが、食糧調達にせよ伝達にせよ、この禁止は踏み躙られているかに見える。というのも、器官の延長としての分業が蔓延しているからである。これは、打ち消され疚しさとなって潜伏している媒体性が祟り返しているのであり、誰もが他の誰かの器官の延長であるのに、器官の延長であることが他の誰かに顕れているために「私」は器官の延長であることを度忘れしていられる、ということである。
鏡像がギョッとさせることがあるのは、それが、自由、孤独、思考の剥奪された姿であるからである。その姿でしか「私」というものは呼び出されない。身分証明写真や犯行声明として送りつけられる人質の映像が何か萎縮し矮小でどこか卑屈、白痴であるのは、同じ姿で呼び出されている痙攣からである。


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