Sunday, June 24, 2012

碧痕198 八百比丘尼

198 八百比丘尼  人面瘡が素藤の白状の器官の延長であるなら、八百比丘尼は素藤の思考の器官の延長(生首)である。スフィンクスにオイディプスの思考が魘されるように、八百比丘尼に素藤の思考は魘される。素藤の思考は八百比丘尼を通して(従って、思いがけなく)届く。疫病の精で二人の寵妾朝顔、夕顔が朝日に当たる霜の如く消えたのを素藤は惜しみ八百比丘尼妙椿の焚く反魂香の煙りの中に二人の於母影を呼び出そうとするかに見えて、妙椿が呼び出したのは里見義成第五の姫浜路で、素藤は忽ちにして懸想する。素藤の人面瘡の二重分身すなわち疫鬼と玉面嬢の収斂が八百比丘尼妙椿であるが、この八百比丘尼からは、朝顔、夕顔を犯した悪疫の責めが恐喝となって素藤に届くのではなく、朝顔と夕顔の身代わりが浜路になるような思考が(思いがけなく)届くのである。

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