Monday, July 09, 2012

碧痕203 怪談、ミステリ

203 怪談、ミステリ  媒体性のこの世の姿をしたparaphraseとしての密通性、この媒体性には観音振りが、密通性には畜生振りが対応している。伏姫を魘う人面瘡としての八房は、伏姫(生贄)の身代わりである限りで密通性を(「私」というものの恐慌を)告白している。凡そ密通の話は、乗り移る限りで分身する怪談である。  ミステリに於いては、犯人の人面瘡としての死体は、犯人の身代わりであり、犯人が極端に私的になる代わりに死体は鏡像の極として(他の誰にでも聞き取れるように)何よりも公的になる。この死体の分身から(すなわち、犯人の身代わりの身代わりから)犯人に空耳のように恐喝が届くのであるが、追跡の気配に魘される息遣いと追い詰める息遣いとがいつの間にか区別がつかなくなるサスペンスは、この秘密が生まれ変わるのである。  行方知れずになった症状が何処かで生まれ変わることで意味深くなるように、密通の話やミステリが井戸水の如く日々消費した分だけ湧き上がって来る更新のリズムであたかも日々が意味深くなるとでもいうように、その反復強迫は意味深さの恐慌になるまで保険をかけずにはいられない。

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