Sunday, July 15, 2012

碧痕205 累ヶ淵の真景

205 累ヶ淵の真景  死体を身代わりにする犯人は身代わりであることを蛻けられない。身代わりであることは乗り移って来るからである。幼い子供が、母(朝の光と大きな顔と呼ぶ声)を見失うことと身代わりであることが秘密ではなくなることと区別がつかずに、孤独なのではなく孤独が盗まれて魘しかける気配が、犯人を包む。死体は犯人に出来た人面瘡であり、人面瘡が仮初めにも消えるとすればそれは「告白」(J.J.Reasou)を包囲する追跡、陰謀の気配のように遍在し始めたのであり、犯人は身を隠していたいのに隠れなく魘される(盗聴されている)。  「真景累ヶ淵」(円朝)で連続殺人が起こるのは、人面瘡が次々と乗り移る限りで分身して腹話が告白から恐喝に移るためである。「告白」は怪談の世代に属し、「真景累ヶ淵」はミステリの世代に足を踏み入れては前世代に後退りする。  「怪談」(中田秀夫)では、累ヶ淵の水面上に姿を現わした豊志賀が、新吉の首級を赤子をいとしがるように抱きかかえて実検する。「真景累ヶ淵」を支配する人面瘡は豊志賀の顔面から新吉の生首に逆転する。それは、「真景累ヶ淵」が湛える兇悪なものの源が新吉も豊志賀も身代わりであることを告白しているのか思い出しているのか区別がつかない。  沈められると二度と浮かび上がらない累ヶ淵の思いがけない真景とは、約束があったかのような一目惚れ(感応)の精神分析であり、約束があったかのような意味深さには到達しても真景には届かない、届かないが意味深く生まれ変わる祈祷としての精神分析である。

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