碧痕207 祈り、二重性の分析
207 祈り、二重性の分析
「蛇を壜の中へ入れてアルコールをつぎ込むと、蛇は苦しがって、出よう出ようと思って口の所へ頭を上げて来るところを、グッとコロップを詰めると、出ようという念をぴったりおさえてしまう。アルコール漬だから形は残っていても息は絶えて死んでいるのだが、それを二年ばかり経って壜の口をポンと抜いたら、中から蛇がずうッと飛出して、栓を抜いた方の手頸へ喰付いたから、ハッと思うと蛇の形は水になって、ダラダラと落ちて消える」(「真景累ヶ淵」円朝)
蛇の形を保持していたのはアルコールではなく出ようと頭を上げて来る念であるように、エウリュディケの形が残っていたとすれば、それは(しかしエウリュディケではなく)オルフェウスの執念からである。しかし、オルフェウスは振り返り、エウリュディケは闇に吸い込まれて消える。壜から飛び出した蛇の形は水になって消え、エウリュディケの形は闇になって消える。この水や闇は、祈りである。
その後のオルフェウスは女たちに八裂きにされるまでもなく解体しており、トラキアの娘が竪琴で運ぶ生首はばらばらになったオルフェウスの部分なのではなく、metamorphosis である。それが蕩尽してのたうち犇めく小蛇や百足になって消えるとすれば、それも祈りであるが、二重性の分析でもある。
意味深さはしばしば罪深さと混同されるが、意味や罪の陰影の、その真景に届くことはない。「竪琴でオルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」と題せられたG.Moreauの絵にも、契というものの(二度生まれることの)精神分析が胎蔵されている。


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