碧痕213 「自涜」の次の光景
213 「自涜」の次の光景
仮(にせ)の告白は、「私」が「私」というものの、その虚構の気配から逃げる場所がない。告白の安堵の、その蔭こそはその虚構の気配の潜伏であるからである。「生まれ変わりたい」という告白が皮膚の全面を性感帯にして甘美なのは、「私」は不易のままに「私」を代表する顔、記憶、態度などが取り替えられてしまう幽霊性からであるが、このような「私」は媒体が鎧う擬態ではなく、媒体にかかるghost のデフォルメである。このデフォルメが敷延して、人形振りの「自涜」、人形振りの告白、贋の悔恨といった責め(苦)が生まれ変わっていて、それが、身を隠していたいのに引き出され隠れなく引き据えられている姿である。
この姿は、孤独の極で孤独が解けるのである。「私」が戦後の日常性に安堵しないのは、戦時下の平均性に紛れていられた仮の孤独(倒錯)が戦後の日常性でどう生まれ変わるか不随意であるからである。責め(苦)は生まれ変わり、解消はしない。それは、方解する。思いがけないのは、身を隠していたいのに隠れない、逃げる場所のない気配に狼狽して、面に皺を寄せたり頭を掻くように「自涜」することの次の光景、園子に「受洗」の決意となって顕れた「自涜」の感染・転移である。「私」が園子に漠として予期していた閃光は、コノ島デ女ト暮ラスコトではなく、園子を逃げる場所のない気配へおびき出して、狼狽の効果から「自涜」するように「受洗」する、そうした転移発作である。


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