Saturday, September 01, 2012

碧痕221 「最後の審判」の執念

221 「最後の審判」の執念  そもそも最後の個体が死滅したとしても、その個体が属していた種やその個体が話していた言語は失われるのだろうか。縁生する地上のものに絶滅はあるのか。そもそも地上のものは取り返しのつかなさをどうして鎧うのか。取り返しのつかないことを以て何を打ち消し、何をあざむくのか。復活は扇情的であるが、何も取り返してはくれないし、復讐と同じく何も埋め合わせられない。死を以てうやむやになることをあくまでも阻止しようとする「最後の審判」の執念は何なのか。  「死ノ棘ハ罪ナリ、罪ノ力ハ律法ナリ」  「最後の審判」に先立って個体を貫くその不正が復活して引き据えられるのではなく、その不正の輪郭を換喩的に模写してその不正に潜伏する地としての「最後の審判」を浮かび上がらせる力として個体は絶滅しないのである。「最後の審判」に個体が戦き眩惑するのは、その到来が差し迫る効果ではなく、不断にしかし潜みしのんで個体を輪郭づけていることが露頭するからである。  媒体性の露頭が自由、孤独、思考を脅かして薄気味悪く迫るように、しのぎ忍ぶ地としての「最後の審判」が剥き出しになることに於いても、個体を呼び覚まし励起することと個体を脅かすことと区別がつかなくなる。

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