Tuesday, September 04, 2012

碧痕222 もう一つのmatter

222 もう一つのmatter  覆いかける大きな顔の気配から自由、孤独、思考は脱け出せないが、脱け出したかのようになるのが媒体性と擬態の気配を消して媒体の曖昧性と妥当要求の如何わしさに揺れる「地上」(堕落)である。この「堕落」を支えて地上に踏みとどまらせるものが、法則性と歴史性である。  地上に踏みとどまる科学の野心は、「堕落」を総括することである。  ところで、ガリレオ的なものもデカルト的なものも、見かけを疑い、見かけが隠しているものを鑿索し、隠れているものが顕れる効果に冒され易いことでは似たり寄ったりであるが、顕れたものに対して見かけを疑う態度を貫くか差し当たって暫くは打ち切る妥協の態度を採るかで、追究の一貫性と政治的なものとが岐れる。  ところでまた、どうでもいいのではない限りでmatterなのであり、真偽が気になるか意味が気になるかでmatterも分岐する。  この、意味が気にかかるもう一つのmatterは終末が気にかかるのであり、宇宙の終わりが気にかかるとすれば、そのmatterはもう一つのmatterと区別がつかなくなる。「堕落」の終わりとは、matterの場所が何処デモナク、その空虚がmatterを宙に浮かせるにしても地としてmatterを浮かび上がらせるのではなく、matterが消滅するのでもなく、matterが場所を占めるのではなく、もう一つのmatterが何処デモナイ意味を占める、つまり、matterにghost がかかるのである。こうした変貌が、何モ変ワッテイナイノニ取リ替エラレテシマッテイル、とか、something elseといった、ごく微妙にして奇妙だが劇的な(しかし毒をもられたような)報告の標本になる。

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