碧痕240 迫る約束の気配
240 迫る約束の気配
80分しかもたない記憶、事故の後遺症で記憶が80分後には抹消されてしまうために、通って来る家政婦に繰り返し(しかし、胸騒ぎがするほど瑞々しく新たに)博士ハ問ウ 君の靴のサイズはいくつかね 答 24センチです 博士ハ総括スル 潔い数だ、24は4の階乗だ 、と手放しで讃えるシーンに連れ戻される。(「博士の愛した数式」小泉尭史、小川洋子)
それは、何か自ら罰するというようでもあるが、打ち消されたままに(実在してはならない)虚数の解になおも跳躍しようとして助走を繰り返すというようでもある。胸騒ぎかしたのは、まるで生まれ変わる練習(を窃視するか)のようだからだ。
ところで、窃視するのは博士だろうか、博士と数で結ばれた家政婦だろうか、それとも私だろうか。生まれ変わる練習をしているのは誰だろうか。
博士に迫る約束の気配は、しかし博士の兄と兄嫁の婚姻に打ち消されてしまっていた。或いは、思いがけなく、約束の気配に矛盾しない範囲で弟が兄にずれてしまっていた。約束の気配というものは個に命中するのではない。即興(間に合わせ)の、そのずれに初めて個が出現するからである。この個の出現そのものが思いがけないのであるが、つまり(従って)約束通り予期されていたものでもある。博士と家政婦のつがい形成には博士の兄や兄嫁が器官の延長として介在していて、約束の気配が「博士の愛した数式」にparaphraseされているが、これも個に命中しているのではない。
しかし、生まれ変わる、という思いはなおらない。


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