155 狼狽の効果
白い洗剤の泡で白色雑音が満ちた車のフロント・ガラスを通して、やがてDO NOT BRAKEの表示、WELCOME TO AUSTRALIAの看板が浮かび上がってくる。日常は砂嵐のモニターに浮かび上がって来るかのように虚構の気配が消せていない。(The Seventh Continent(Michael Haneke)) 奇妙な親子心中事件として処理される破壊は何を、何処を目指したのか。オーストリアでもオーストラリア大陸でもない何か別天地であるにしても、反語というものを学んだ少女エヴァにとっては別天地への旅行の決意も同意も反語的で、二重性の禁止としてのmoral が頓挫している。しかし、虚構の気配が消えたりもする。電話局から係員が調査に訪れて来たり、熱帯魚の泳ぐ大きな水槽を取り返しのつかないしかたで破壊してしまって、狐憑き状態と自由の間で揺らぐのである。
この揺らぎは、「Benny's Video」( M.Heneke)に於いて、ボスニアの内戦で市民が誰であるかの区別なく狙撃される光景や、豚が強引に屠殺される瞬間や、嘘のように少女を殺害してしまう場面を、極端に私的になるまで目を延長したカメラ・アイが覗き込む、その覗き穴を実体のない監視カメラが潰してしまう(つまり、何処からともなく覗かれている)ために、その映像の歴史的到達・保存と、そのエラー状態の間に(アブラハム的な度忘れが祟り返しながら)転位、変形する。
エヴァは学校で目が見えなくなる。何か裂目、それが咄嗟に見えないようにする失明発作というより、身を隠していたいのに隠れないので目を瞑って見えないことにする奇計、或いは、見えない訴えを反語的に読み解くように促す反応の実験、反語的な空気の練習である。この空気は、二重性の禁止、嘘の禁止にも拘わらずエヴァが世に棲む日々に侵入、おかしている。
moral から逸脱しまいとすればするほど、この反語的な空気は鼻につき、とりわけ祈りの時はその飽和状態で、しかし、この空気をそれと知らず呼吸できないのは深刻なエラーである。そもそも目を瞑らない祈りの時があるだろうか。身を隠していたいのに隠れないので目を瞑って身を隠すというような転移(埋め合わせ)は愚鈍でも滑稽でもなく、狼狽の効果であるとしても頭を掻く身振りのように何か洒落のめしていて、何か自然である。
エヴァが、目が見えないなどと嘘をついたという学校からの苦情に母アンナから横っ面を張られたのは実験と練習の頓挫というより、もはや何もかも反語的でないとはどうにも証明できないことを学んだのである。見えるとも見えず、叱れども叱ってはいない、悼むのは癒すのであり、打ち消しても打ち消してはいない。法則的、歴史的到達・保存としての世界は自然(化)を潔しとしない、それは一貫性を欠くからであるが、世界を貫くはずのmoral は擬態である。しかし擬態の気配を消す限りでmoral であり、擬態の気配が消せないのはエラーであり、日常は不意に日常性を解く。
ゲオルク、アンナ、エヴァが組成する家族は、厭世的なのではなく、地続いている神秘を抑えようとする。エヴァに嘘が顕れたので横っ面を張るように、世に棲む日々が擬態の気配を消せないでいるので日常の媒質として取り巻く家具など法則的なもの歴史的なものを破壊しまくる。この破壊は、即身成仏が成仏を証明しないように、肉薄しようとして届かない何か(半解脱)の目印に過ぎなく、届かなさを模写する祈りのようなものである。極端に私的なのに隠れない何かがピンぼけで家族を襲ったが、その目印は精々、何か特殊で風変わりな信仰でも作用したことの異様な痕跡として片づけられる。
一方、ベニーの日常は着実で動揺がないかに見える。そこでは何もかもが着々と監視カメラを通して様々な映像に単純化され、均され、制圧されるかに見える。しかし、ボスニアの殺戮も豚の屠殺も少女の殺害も差別がないために神経衰弱を免れているにしても、どの映像も発作的に世界を代表して他のどんな映像とも入れ替わる。ベニーの天地は、この世に属さない別天地なのである。
ベニーの映像の蒐索は、幸福感の約束としての豚の屠殺から屈折、転移、変形して、ボスニアの民族洗浄、豚同然の少女致死も含む出来事や光景の、矢継ぎ早な単純化、標本化、消化の習癖に過ぎないが、幸福感の約束の遠い谺であり、この習癖は、強靭な爪や顎が捕えた獲物が口唇から胃袋、肛門へ漸次送り込まれる蠕動の、その霊を映し出す媒体である。
しかも、この蒐索のためにカメラを銃として駆使するように、ベニーは、嘘のように屠殺銃で少女を「撮影」してしまうが、展翅もされなければ過ぎ去りもしないことに狼狽して、何度も「撮影」してしまう。この狼狽は、他の誰かに降りかかったかのように乖離した半抽象の出来事を反芻してしまう。
ベニーの暗い部屋、獰猛に何もかも均して消化してしまおうとする胃袋は、「北回帰線」(Henry Miller)が報告している校正係の部屋の高み、絶え間ない災厄と瘴気の泥沼、地震、爆発、疫病、暴動、衝突、飢饉、洪水、大暴落、大虐殺等々にコンマ、セミコロン、ハイフン、ピリオド、括弧、感嘆符等々の句読点、記号をつけて「世界をすぐ鼻の下」で支配し、災厄に対して完璧な予防接種と免疫の状態、世界の終わりに面したとしても超然とした、その虚空の高みに酷似している。しばしばベニーは高所から降りて来て身を卑くして映像に乗り込む。「北回帰線」が沸騰、猥雑にふくれ上がった下水溝渠に流れ込むようにベニーの下降と覗き穴の被剥奪は、しかし実は高々と(様々な違いを均して)遠ざかるカデンツァなのである。