Saturday, January 05, 2013

碧痕263 (電池仕掛けの)身体

263 (電池仕掛けの)身体  移動の精神も革命の精神も、打ち消す精神である。地上に耐えるための擬態能とは、打ち消す力であり、移動しないではいられない盲動から、移動するうちに認識能は出現するが、それは、打ち消す力を模写する如くである。しかしこれは、化が擬態に移る(活く)のである。擬態に於いて化は打ち消されて潜伏する呵責であるが、その逆の呵責は潜伏しない。化と擬態は可逆的に移る(活く)が、潜伏する呵責は可逆的ではないのである。  究極の懐疑、純粋な嫉妬としておどろく無我は、何もかもが疑わしく何もかもが意味深くなる、この呵責が個体を系統発生的に迫害する効果である。  巴里を囲む要塞の土手に上がって来る蓄音機が唄うシャンソンは、器官を延長した歌声に「浮雲」が出現しないように反抗して、その効果としての浮浪を貞吉の巴里は鎧って地上に耐えるのであるが、ゆき子が或る米兵を慰めて思いがけなく手に入れた電池仕掛けのラジオから流れ出る音楽は、個体に命中していないのに超然と個体を脅かす呵責の仮装である。それは、系統発生的には何の秘密でもないが、他の誰かの身体に密通として顕れるように個体を迫害する。器官の延長であることの(呵責の)気配を吹きつけられた(電池仕掛けの)身体に「浮雲」が出現するのである。

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