碧痕266 嘘気、真意
266 嘘気、真意
最終状態は化と認識とでは逆転する。類が種の最終状態であるのは認識に於いて、逆に化に於いては類の最終状態が種である。同じようにして、認識に於いて言葉は意味を目指し、化に於いては意味の最終状態が言葉である。最終状態の言葉には命令があふれ出していて、この横溢は、認識の水準からは、範疇を使いこなせない失語状態である。届かない思いというより、唖然たる思いである。
作品が忽光を放射する場合、作品は意の最終状態で命令(霊)があふれ出しているが、認識の水準からの作品の真意というものは疑わしくなる。作品の最終状態が、作品が平均性や提喩性を媒質にして法則的に歴史的に真意を目指すために、作品に先立つことになるからである。真意というものは擬似奥行である。作品に真意が顕れたとするのならば、それは何か度忘れの状態にある。度忘れ状態とは、漠としてそこに何か禁止が漠とした呵責となって潜んでいるということである。
嘘じみる運命の、その嘘気は、地上に耐えるために認識に移る。真意というものは、日常性がそうではないように、運命的ではない。


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