Thursday, May 02, 2013

碧騒302 暴れるThomas

302 暴れるThomas  Thomas Aquinasは、忽然として筆を折る。もの凄いものを見てしまったというのである。それは何か。そもそも、こうした問が可能なのか。スンマは祈りの如くであったから、Thomasは祈りとしての論理的敷延を断ったのであるが、見たというのはしかし認識や経験とは違う何か、従って我々の文法では制圧も伝達もし得ない何か、日常ではなく日常性の崩壊、対象ではなく対象性の崩壊、個体ではなく個体性の崩壊、存在するものではなく存在の崩壊であるとすれば、エロヒムに居合わせることは(最終状態の覚醒は)場所の崩壊である。本質も概念もその擬態が解けてエラー状態になり、エジプトの空に立ちのぼる紫の煙の如き祈り(スンマ)は何処にも届かないままに変態してあばれる、あばれるが動いているようには見えない。

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