Thursday, May 23, 2013

碧騒309 神の覗き穴、神も知らない空虚、思わず振り返る思い

309 神の覗き穴、神も知らない空虚、思わず振り返る思い  「こどものころ、何かの目的をもって道を歩くのにあきて、道ばたにすわってしまうことが、よくあった。・・・夏のさかりだったと思うが、あぶが、何度かそばにきてうるさかった。ほかにも、はえが、そばをぶんぶん音をたてて飛んでいた。」(「退行計画」鶴見俊輔)  そうして、道ばたの草のなかにすわっていて、あぶの羽音もはえの羽音も、居合わせている「私」の気もちも、誰にも知られずに過ぎるのだと思った、その、変な淋しさを、あとで何度も思い出すことになるのであるが、この「あぶやはえの羽音、草いきれ」の空ろな2分の、その淋しさは、唯一立ち会っている「私」が、「あぶやはえの羽音、草いきれ」の影に変脱するのであり、この影は、「あぶやはえの羽音、草いきれ」の場所があふれ出して、直観に反する何かが迫って胸が締めつけられるのではなく、地上の物の影がそうであるように「あぶやはえの羽音、草いきれ」を直観的なもの、この世のものにするのでもなく、「あぶやはえの羽音、草いきれ」がそれと知らず鎧っている直しさと「私」とが互いに陰画的に模写して、つまり、陰画的抽象を以て、直しさは「私」になろうとし「私」は直しさになろうとして奇妙に迫るのであり、この空ろこそは二重の焦点からなる神の覗き穴なのである。  神も知らない空虚、意味(命令)が潜伏したままの空虚、と思わず振り返る思いは、直観に反する何かの気配を消せない思考、中間突破や本質の頓挫であり、個体の隠喩性を、従って個体の頓挫とあふれ出す命令(意味)を剥き出しにして、精神分析的である。

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