碧騒311 Sherlockの腹話術
311 Sherlockの腹話術
Sherlock Holmes は、「命の書」(最後の審判に引きずり出されるために復活しても、永遠の命を得るのは名前がこの書に既に書き込まれている者に限られる)を、新聞に掲載したSherlockの分析的推理の標題にし、殺人事件を参照するに当たって範例となる事件が必ずや先行するという決断を、矢張り聖書の中の「詩篇」から補強している。コノ世ニ新シキモノナシ
「命の書」が予約の書、予定の書であることと、痕跡から遡上する推理とはどう関連するのか。推理は、提喩的に、部分が全体を代表する単純化(写真術)を以て進み、範例の参照は個別化すると同時に一般化する平均化(範疇術)を以て進む。これは、日常性を支える知の能力、企画の能力すなわち擬態能そのものである。何が違うのか。日常の現実性は擬態の気配を消しているが、推理は擬態の気配を消さない。擬態の気配が消えないエラー状態ではなく、その法則的、歴史的虚構を説得術に変換する。
何よりも本当らしく何よりも嘘じみている神託は、説得法としての告白と伝聞に分割されるが、その、隠れていたものが顕れる効果は虚偽を(それが意図的であれ、わざとではないのであれ、あたかもわざとではないかの如くであれ)免れているというのではない。妥当要求としての誠実(正直)や正当性には如何わしさがどこまでも潜んでいる。説得法に過ぎない推理は、鬱状態が何も変わっていないのに躁状態に変態するように、告白と伝聞が出口がないままに変態したものである。それは、どんな手続きを踏もうとも結局は告白と伝聞(自白と証言)と如何わしく共謀することになる。恐喝は、推理の水準に於いて、他の誰かの舌を通した告白、従って神託じみていて、うわべの脅かし(個体の地位や身分への脅威)とは別にそもそも個体であることそのものを脅かしかけている。媒体であることの気配が消せないのであり、思考も筒抜けになりかかっていて、腹話として、精神分析に地続いている。
予定の書、予約の書としての「命の書」の恐喝が脅かすのは、個体であるかに見えて実は個体性である。というのも、個体は寿命を鎧うものだからである。
最も犯人らしくない登場人物が犯人であるという展開の起原は、犯人を探すオイディプス王が実は犯人であることをばらすことになる、あの神託の恐喝じみた腹話であるが、逆に、神託じみた恐喝でオマエガ犯人ナンダゾと迫れば犯人に殺されかねないのが探偵としてのオイディプス王であり、この探偵の見過ごされがちな危険が、「A Study in Pink 」ではSherlockに迫ることになる。大いなる仮説である、世界ヲ支配スルノハ偶然デハナク正義デアル を証明しようとして、「A Study in Scarlet」の犯人は毒を込めた丸薬と毒性のない丸薬との二つから一つを選択するよう仇に強要し、残された一つを自ら呑むことにする。果たして服毒したのは「ユタの野の花」を踏み躙った仇の方ではあるが、この苛烈な情熱を以てしても大いなる仮説が証明されたのではない。「A Study in Pink 」の犯人は、このことをSherlockにこそ突きつけて来る。Sherlockの推理は何よりも犯人を脅かす恐喝であるからSherlockは殺されるべきであり、しかも二つの丸薬の選択を迫って、同時に、大いなる仮説の証明とSherlockの推理の能力の証明の選択が迫られる。
「The Great Game」では、犯罪のコンサルタントである犯人と犯人探しのコンサルタントであるSherlockには、互いに余計なものに似ようとする双子の霊がかかっている。直観に反する何かの気配が消しにくく、腹話は、精神分析、ミステリ、怪談のどれにでも転び得る。


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